70~80年代、ある写真館の息子のヤンチャなクルマ遍歴
1980年代後半から20年以上、関西を中心にさまざまな自動車イベントを取材した新川治朗カメラマン。現在も大阪の写真館を元気に切り盛りしながらトヨタ「コースター」のキャンピングカーでカーライフをエンジョイしている様子と、その前の平成初期に「ホーミー」と「ハイエース」でバンライフを満喫していたストーリーを2回にわたってお届けした。今回は、それ以前のヤンチャでムチャなクルマ遍歴をレポート。昭和の時代の1人のクルマ好きの歩みを紹介しよう。
兄貴や知人のおさがりか、お金を出しても5万円
1961年生まれで現在62歳の新川さんには4歳年上のお兄さんがいて、自動車、バイクに関しては兄の影響が大きかったという。遊び方、いじり方、乗り方、すべて兄貴ゆずり。「カリフォルニアのサーファーが乗ってるバンがカッコいいんだ」という好みも、そのまま受け継いだ。また、新川さんが高校の自動車科を出たのに対して、お兄さんは大学の芸術科卒。職業はペインターだ。乗り継いだクルマ、バイクの多くは、お兄さんの手でペイントされた。
18歳で免許を取ってすぐに手に入れた最初の日産「チェリー」もお兄さんのお下がりだった。運転が楽しくて遊びまくっていたが……たった3カ月で廃車になったそうだ。
「モトクロスごっこをしていた合間にダートトライアルごっこで息抜きしていたところ、兄貴が派手にスピンターンを決めたので、免許取りたての私が真似したところ、地味にこけました」
2台目はタダでもらった「サニトラ」で、バイクを載せてモトクロスの練習に行くのに、ポンコツのサニトラが便利だった。ヘッドガスケットが抜けても自分たちで修理して乗っていたそうだ。
そして3台目はお兄さんと共同所有のトヨタ「カローラバン」。
「この頃、兄貴は大阪の堺にあった“バン&トラック”というショップで働いてました。キャンパーもバニングもごっちゃだったバニング草創期でした。兄は電車通勤だったんで、勝手にカローラを乗り回してました」
お次は5万円で買った「コロナHT」だが、ポンコツ屋でバリカンコロナの5速トランスミッションを買って載せ替えたものの、さすがポンコツ屋仕入れ、よくギアが抜けたそうだ。
米国パトカー風のローレルはトラブルの元に
20歳のときにクルマを処分して、バイクで日本一周へ。21歳までいい加減な放浪生活に身を任せ、しばらくクルマのない生活が続いた。そして久しぶりにハンドルを握ったクルマがホンダ「ライフ」だった。
「当時珍しかったベンコラATの超低速車。コレも最終的に木目ラインを入れて、キレイめに乗っていたけど、ATがブッ壊れて廃車になりました」
次は、知人から5万円で買った「カリーナHT」。フェンダーとボンネットを交換したついでに全塗装したものの、エアコンはまともに動かないし直す気もないから「ハードトップがサイコー!」と自分に言い聞かせていたそうだ。
そしておじさんからタダでもらった「ローレル」が、金をかけずに目立つようにとパンダ柄にしてみたが……。
「目立ちすぎでヤカラからも警察からも頻繁にちょっかいを出されて、面倒になって黒一色にしました」