25年3世代で50万台以上も売れたベストセラー
2023年4月20日、「アウディのブランドアイコン、Audi TTの歴史を締めくくる記念モデル第一弾」と見出しのあるニュースリリースが発表された。「TTSクーペ」の限定車の登場を伝えるものだが、どうやら「TT」がついに生産を終了するらしい。同リリースにも記述されていたが、1998年から3世代にわたり合計で世界販売50万台超えというTTがいよいよ終わりの時を迎えると聞いて、寂しい思いを抱くファンは少なくないに違いない。
先進的なアウディのイメージを象徴するモデルとして誕生
アウディというと、WRCで華々しい活躍を見せたフルタイム4WDの「クワトロ」は乗用4WDの先駆けで、今でも同社を象徴する存在のひとつ。また1982年登場の「アウディ100」(3代目・C3)では量産4ドアセダンで初めてCd値0.30を達成し、そのエアロダイナミクスボディも、先進的なアウディのイメージを確固たるものにした。そうした流れを受けて、さらに次世代のアウディのシンボルとして誕生したのがTTだった。
ご承知のとおり「TT」の名は、1905年にイギリス・マン島で初めて開催された自動車/モーターサイクル・レースの「ツーリスト・トロフィー」に由来するもの。ただし初代アウディTTが、TTの名を冠した最初のクルマだったのかというとそうではなく、じつはアウディの前身でもあったNSU時代に当時のコンパクトセダン(Prinz 1000)をベースに仕立てられたスポーツバージョンの「NSU TT」(より性能を高めたTTSも)なるモデルが存在した。こちらはタミヤの電動RCカーで製品化されており(なんとマニアックであることか!)、ラジコンが趣味の方にはおなじみかもしれない。
モーターショーのデザインスタディとほぼ同じ形で市販化
ところでアウディTTだが、その原形が世に姿を現したのは1995年のフランクフルト・モーターショーだった。このときにアウディ・ブースに置かれたデザインスタディモデルが、量産型初代アウディTTのオリジナル。量産型と見比べると、外見上の大きな差異はリアクオーターウインドウがあるかないかといった程度。ホイールベース(スタディモデルの公表値は2428mm、量産型は2430mm)をはじめ、サイズも量産型が全長+35mm、全幅+15mm、全高+10mmと誤差はごくわずか。
メカニズムも横置きの1.8Lの4気筒5バルブターボ+クワトロシステムと、量産型の内容を前提としたものだった。大胆で情熱的で型にはまらないクルマ……当時の資料を読み返すと、英語の説明文にはそんな風にわかりやすく書かれている。
機能主義的でありながら存在感のあるバウハウス的デザイン
さて、ここからは量産型の初代アウディTTの話へと進めるが、日本市場で正式に発売されたのは1999年10月のことだった。当時のアウディジャパンのリリースには、1995年のフランクフルトで全世界で熱烈な支持を集め時期をおかずに量産化が決定、3年後の1998年10月にヨーロッパ市場で量産モデルが発売された、とある。また立ち上がりの数カ月で5万台近くの注文が殺到し、当初の年間生産台数を4万台から5万台に引き上げた、とも記されている。
もちろんそれまで見たこともないような、シンプルでありながら存在感のある斬新なスタイルは注目を集めた。ちなみにこのTTのデザインは、同じドイツで1920年代に起こった「バウハウス」の無駄のない機能主義的なデザインに相通じるとも受け止められていた(同じバウハウスの流れをくむドイツの代表的プロダクトのブラウン、ラミーの「私物」をTTのカタログとともにお見せしておこう)。
ホイールとそれを囲むホイールアーチを中心に、前後フェンダー、ルーフ、ウインドウなどはすべてホイールアーチの形状を反復したものだったという。さらに短い前後のオーバーハングと塊感のあるアンダーボディ、低いルーフが織りなす、エネルギーを凝縮したような低く身構えるスタンスは印象的だった。
他方でインテリアも適度なタイト感があり、アルミ、レザーといったリアルな素材を用いながら、パーソナルなスポーツカーらしさや心地いい緊張感が演出されていた。筆者個人の印象ではアナログメーターのガラスが、あたかもコーティングが施されたカメラのレンズ(フィルター)の色合いのように見え、そういったところに精緻感を感じたりしたものだ。