もう気持ちは次の冒険を思い描いている
翌日の午後、ぼくと「ドル」はAKIRA隊長が住むLA空港近くのエル・セグンドに移動した。次の日は、ドニー(LAの中国系インドネシア人)のファクトリーに行って、「ドル」を預かってもらうことになっている。全走行距離はピッタリ5000マイル(約8000km)になった。アメリカ大陸横断が4000~5000kmといわれているから、ロサンゼルス~ニューヨークを往復した計算になる。本当によく走りました!
隊長の仕事が終わるのをビーチで待ち、奥さんのMAYUMIさんと3人でイタリアン・レストランで打ち上げをした。ワインで乾杯をすると、「で、次は?」と隊長がニヤッと笑った。もちろん、「ドル」との次の冒険は? という意味だ。じつは、ぼくには新たな計画があった。10月後半にサンフランシスコの北の町、マウンテンビューのアンフィシアター(野外音楽堂)で行われるミュージックフェスティバルだ。
主催するのはニール・ヤング。中学生のときから聴き続けてきた大好きなミュージシャンで、ボブ・ディランが師匠ならニール・ヤングは兄貴的な存在だ。彼が多くのミュージシャンを招き、2日間にわたってチャリティコンサートを開く。
過去に2度、参加したことがあるが、とにかく素晴らしい雰囲気だ。しかし、ぼくは2度ともモーテル泊。モーターホームで乗りつけて夜を過ごす連中をうらやましく思った経験がある。次はリベンジする絶好のチャンスだ。
今回の旅では、サンタバーバラ、ビッグサー、ピナクル国立公園など、南カリフォルニアの景勝地を逃してしまった。のんびりと海岸沿いを北上しながら、野外フェスを楽しめればパーフェクトだ。これが実現すれば、ちょうど3カ月後には再びドルのドライバーズシートに座っていることになる。
旅の相棒のキャンピングカー「ドル」はしばらく休眠
ドニーのファクトリーでは、グラスファイバー製品の製造と塗装を行っている。「ドル」を置いておくのはいいが、シートでカバーしておく必要があるという。塗料が飛んできて、ボディやガラスに付着する恐れがあるというのだ。
激安の資材ショップを紹介してもらい、9m×3.6mのシートを3枚と30mのロープを買って、ボールドウィンパークにある彼のファクトリーに向かった。
現地では、ゲーリーというメキシカンが待っていてくれた。建物からはグラスファイバー工場特有のシンナーの臭いが漂っている。敷地の一番奥に「ドル」を移動し、買ってきたシートでカバーする作業が始まった。
炎天下のなか、30分ほど作業をして、「ドル」はグレーのシートでぐるぐる巻きにされた。なんだかかわいそうな姿になってしまったが、3カ月の辛抱だ。10月になれば、再び彼のV6が雄叫びを上げるだろう。
こうして、ぼくの放浪キャンプ第3章第1部は終わった。10分後、Uberで呼んだクルマが到着。スロバキア人のきれいな女性ドライバーの運転に揺られながら、ぼくはドルとの旅を回想していた。
自然の偉大さ、素晴らしい人々に触れられるのが旅の醍醐味
旅行と旅の違いは、楽しさの割合だと思う。日程が決まった旅行は80~90%楽しくないと満足できないが、一方の旅は60%楽しければ合格といえるだろう。うまくいかないこと、寂しいこと、悲しいこと、困ったこと。その非日常を体験するのも旅の醍醐味なのだ。
放浪キャンプの計画を話すと、「なんでそんなことをするの?」と真顔で聞く友人が何人もいた。相手が親しければ、「人生の期末試験だよ」と本心を答えてきた。63歳になった自分に放浪をする気力、体力が残っているのか、それを試してみたかった。今回の旅を無事に終えて、その試験にはパスしたと自負している。その意味で、とても満足な3カ月間だった。
90日間、ほぼ毎日、鳥の声で目覚める朝を迎えた。空を素早く飛び、虫を捕え、それぞれの声で仲間と意思を疎通する。そんな鳥たちの素晴らしい能力に心から感動した。
ホー・フォレストで出会ったバード・ウォッチャーの女性は、足が少し不自由だった。その彼女を翌日、キャンプサイトで見かけた。驚いたことに彼女のサイトにクルマはなく、1台の自転車が木に立てかけてあった。世の中には、すごい人もいるのである。
旅は楽しい。自然は偉大だ。そして、素晴らしい力を持つ人が世界中にいる。驚きと感動の出会いを求めて、気力、体力が続く限りチャレンジを続けたい。ひとつの旅を終えて、その思いを新たにした。
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