日本独自の新ジャンル「軽ハイトワゴン」が流行するきっかけに
歌は世につれ世は歌につれ……とは、よく言ったものだ。昔、ポール・モーリア・グランドオーケストラが『恋はみずいろ』を70年代のディスコサウンド風にアレンジしてみせたのはちょっと驚きだったが、まさにその具体例だった(古過ぎました?)。ひるがえってクルマの世界も、まさしく世につれるもの。というよりも、時代の流れや要請にあわせて、その時のユーザーと社会にふさわしいクルマを作り出すのが自動車メーカーの役割だ。そこでスズキ「ワゴンR」だが、このクルマの場合は世はワゴンRにつれ……だったというべきか。後からダイハツが「ムーヴ」を登場させることになり、「軽ハイトワゴン」なる新ジャンルを作るきっかけを作った。
初登場時の第一印象は「ステップバンのカバー?」
初代ワゴンRの登場は1993年9月のことで、今からもう30年も前になるが、意外にもあのオープン2シーター「カプチーノ」(1991年11月)よりも後の登場だった。筆者が実車を初めて見たのは発表直前に開催された媒体向けの事前撮影会の場で、忘れもしない8月の折りしも大型台風が首都圏に上陸という好天、いや荒天の日。場所は横浜にあるスズキの研究所で、カメラマンは風雨にさらされながらの撮影となり、編集者、書き手は自分のビニール傘を突風にへし折られながら……と、経験のなかでも1、2を争う過酷なコンディションのもとでの撮影&取材となった。
だからというわけではないが、時効成立として今だから言えば、初めてワゴンRの実車に対面した第一印象は「ホンダがボヤボヤしているからスズキにステップバンのカバーを先に作られちゃったじゃん」だった。一見して背が高く、短いノーズのプロポーションに、そう思わせられたのだった。
90年代~00年代に軽自動車の王者として圧倒的な人気に
ところがそれから初代ワゴンRの実車に取材や試乗で触れるチャンスを重ねるうちに「いいクルマじゃないか」と気持ちと理解に変わったのだった。ちなみにワゴンRは初代が現役だった年度を含めた1995年度~2001年度に7年連続、2003年度~2007年度にも5年連続で国内軽自動車・車名別新車新規届出の第1位を記録するなど人気を確固たるものに。
写真のなかに「50万台達成」の関係者が名刺に貼るシールをシートごと写し込んであるが、これは1996年10月にわずか3年1カ月で国内累計販売台数50万台を達成した際のもの。やや古いデータだが、2016年には保有台数で軽ナンバー1の約280万台と、ワゴンRは日本の軽自動車の中でも押しも押されもせぬビッグネームに成長したのだった。