2機種目にして最後の三菱×AMGコラボ
一時話題となった「納屋モノ」。例えばオーナーが大事にしていたものの亡くなってしまい、クルマの存在が忘れ去られてしまったり、処分に困ってそのまま放置されてしまった……など、ずっと眠ったままのクルマは世の中にいくつもあるはずだ。今回の主人公である三菱「ギャランAMG」も、北関東某所で発見した納屋モノの1台。前オーナーは健在だがもう乗らなくなったそうで、「これから乗り続けていくのなら」という条件のもと、筆者が譲ってもらうことに。そこで、路上復活への道から、ギャランAMGとのカーライフを不定期でお届け。第1回目は、まずギャランAMGがどのようなクルマだったのかを振り返る。
三菱自動車として初の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したモデル
筆者が千載一遇のチャンスともいえる奇跡的な出会いをした車両は、三菱「ギャランAMG」である。ギャランといえば、三菱自動車工業が製造していたモデルで、1969年に登場した「コルトギャラン」から、8代にわたって国内で販売が続いたセダンだ。
8代目が終了した後も、ランサーの国内名称にギャラン(車両名は「ギャランフォルティス」)が復活するなど、46年にわたって名称が使われている三菱を代表するセダンだ。今回のモデルはその6代目にあたり、三菱自動車として初めて「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞したモデルである。
逆スラントのフロントマスクに、S字を描くサイドビュー、きわめて優美なデザインと高い居住性、そして何よりも最強グレードモデル「ギャランVR-4」をベースにした車両がWRC(世界ラリー選手権)という世界の大舞台で活躍。多くのラリーファン、三菱ファンを大歓喜させ、三菱のその後のラリーのイメージを決定づけた名車は、1987年から1992年まで販売された。
名車大豊作の平成元年に登場したギャランAMG
ギャランAMGが登場したのはバブル末期の平成元年である。自動車メーカー各社から気合いの入った名車が国内市場に大量に投入された、日本の自動車史上でも稀有な1年で、まさに、歴史に残る「当たり年」といえる。トヨタからは「セルシオ」、日産からは「スカイラインGT-R」(R32)、そしてマツダからは初代「ロードスター」。そんな名車が続々と登場した中で、ギャランAMGは埋もれてしまう。
車名にもあるAMGとは、その名の通り、現在メルセデスAMGとしてメルセデス傘下の会社となっている西ドイツの名門チューナーでありレーシングコンストラクター(当時はまだ東西ドイツに分断されていた)。当時は独立したチューナー(1999年まで)であり、三菱自動車と組んで1986年に「デボネア」にチューンを施したAMGモデルを製作。実際にカタログモデルとして販売した経験があった。