1965年型シボレー・コルベット・スティングレイ・コンバーティブル
「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回の主役として選んだのは、当コーナー初のアメリカ車だ。アメリカンスポーツカーの金字塔、シボレー「コルベット」歴代モデルの中でも1963年モデルとして1962年秋にデビューした、「C2」こと第2世代の1台を取り上げることにしよう。
アメリカ自動車界のレジェンドたちによる共鳴とは
2代目コルベットの誕生について語るには、ひとりの有能な若手エンジニアの存在を欠かすことはできないだろう。その名は、ゾーラ・アーカス・ダントフ。ベルギー生まれの彼は技術者として非凡な能力を持つ一方、学生時代からレースで活躍していた生粋のエンスーでもあった。そして彼が、コルベットをベースに仕立てた一連のレース向けモデルが、のちのC2の技術的バックボーンとなるのだ。
さらにここで、もうひとりのキーマンが登場する。「ラリー・シノダ」の愛称で知られる日系アメリカ人デザイナー、ローレンス・キヨシ・シノダである。日系人の例に漏れず、第二次大戦中には収容所に強制移住させられ、正規の教育を受けられなかったラリーだが、若き日から持ち前の才能を発揮した彼がデザインの指揮を執ったコンセプトカー「XP755マコ・シャーク」は、ダントフの手がけたレース向けコルベットのひとつ「スティングレイレーサー」とともに、C2の実質的プロトタイプとなったのだ。
1962年9月、C2こと「コルベット・スティングレイ」は、当時のアメリカ車としては珍しく欧州のショー「パリ・サロン」にてデビューを果たした。ちなみに同年のパリ・サロンではフェラーリ「250GTルッソ」も発表されるなど、本場欧州の最新スポーツカーがひしめくこのショーをお披露目の舞台に選んだことになるが、それはまさにダントフたちGM開発陣の自信の表れ。また「スティングレイ」のペットネームもスティングレイレーサーから採ったもので、誕生に至る経緯を如実に示していた。
V8エンジンは5.4Lから7.0Lまでラインナップされた
フレームは初代C1と同じくペリメーター式ながら、シートポジションと重心の低下を図るために、C1ではセンターに置かれていた大型のX型メンバーを廃止。そのかたわら、ボディパネルは初代と同様のFRP製とされたが、サスペンションは北米ビッグ3メーカー製量産モデルとしては初となる4輪独立懸架を採用したうえに、エンジンの搭載位置をフロントミッドとすることで、前後の重量配分にも充分に配慮されていた。くわえて、ブレーキは発売当初4輪ともにドラムだったが、1965年モデルから4輪ディスクに格上げされることになる。
パワーユニットは、当初搭載されていた6気筒エンジンが力不足と評されてしまった初代C1の教訓から、V8のみに限定。スモールブロック(327cu.in.=5358cc)はチューンの違いで250~340psの4種が設定されたうえに、レーシングユーズを見越したラムエア式燃料噴射仕様(SAE規格360ps)も用意された。また1965年モデルからビッグブロック(396cu.in=6489cc)も設定。さらに翌1966年以降のビッグブロックは427cu.in.(6997cc)まで拡大されるに至る。
またボディについては、GMデザイン部門の長であるビル・ミッチェルの指揮のもと、ラリー・シノダの主導でデザインされたという説が語られてきた。だが近年では「日野サムライ」を手がけたのち、「ダットサン240Z」や「ブルーバード510」を擁して北米のレースを闘った「BRE」チーム主宰として、日本でもその名を知られるピート・ブロックが深く関与したとも言われている。
そしてボディタイプは、マコ・シャークに酷似したコンバーティブルに加え、先鋭的なスタイリングのクーペも用意されることになった。