世界中からクルマ&バイク好きが集まるアメリカの母なる道「ルート66」
広大なアメリカを東から西へと結ぶ、2347マイル(3755km)に及ぶ大動脈。クルマやバイクが好きな人なら年齢に関係なく、一度は「ルート66」の名前を耳にしたことがあるだろう。古くは作家ジョン・スタインベックの小説『怒りの葡萄』やジャズのヒット・ナンバーであるその名も『ルート66』で、近年なら2006年に公開され日本でも大ヒットした映画『カーズ』の舞台として記憶に新しい。アメリカのみならず世界でも高い知名度を誇るルート66とは、はたしてどんな道であり歴史においていかなる役割を担ったのだろうか。
1冊の本と出会い「いつか自分でルート66を走る!」と決意
1974年に生まれた私が初めてルート66の存在を知ったのは高校生のときで、アメリカ雑貨に印刷されたマークだったと記憶している。当時は数字の由来どころか道路を示していることさえ知らず、なんとなくアメリカっぽくてカッコいい、程度の認識だった。
それから映画や音楽に登場するルート66の文字が気に留まるようになり、東京の出版社で勤務していたころ飲み会の前に何となく立ち寄った書店で、大塚浩司氏の『オールドハイウェイ ルート66の旅』(ほおずき書籍/2001年)と出会う。表紙には間違えようのないマークが赤いクラシックカーと並んで描かれ、迷わず手に取り読み耽ったのが、実際にルート66を走るきっかけだった。
そこでアメリカ西部の発展に寄与した道路であることや、インターステート(州間高速道路)が整備され廃線になったこと、しかし各地で復活を求める運動が起き、改めて地図に記されたことなど、ルート66にまつわるさまざまな知識を得ると同時に大きな憧れを抱く。心のなかで「いつか絶対に自分で走る!」と決意したものの、月刊誌の編集部員という生活では時間が取れるはずもない。さらに一度も海外へ行ったことがなく英語が大の苦手だったせいで、いつしか「夢は夢のままで終わるのか」と諦めかけていた。
これまでルート66を端から端まで5往復、地球を1周した計算
転機が訪れたのはフリーランスとして独立し、1年目に取材でロサンゼルスを訪れたときだ。アメリカといえば銃社会で犯罪が多発というイメージしかなかったが、実際は思ったほど怖くないしカタコトの英語でもなんとかなる。初めて泊まった宿もほぼルート66沿いといって差し支えない立地で、帰国するころには「ひとりで旅しても大丈夫だ」と自信をつけていた。
以降は何度か部分的にルート66を走り、初めて全線をイッキに走破したのは忘れもしない2011年。そのときに出会った人々や出来事がきっかけとなり、ルート66をはじめアメリカの旅がライフワークになる。コロナ禍のせいで2019年12月を最後に途絶えてはいるものの、ルート66を端から端まで往復したのは5回に及ぶ。大塚浩司氏の別著『ルート66、66のストーリー』(ほおずき書籍/2008年)に、「5往復すれば地球を1周した計算になる」との一節があり、ひとまずはそれを目標にして走ったというのが正直なところだ。