GT-Rとともにスカイライン人気を盛り上げた立役者
通算50勝というモータースポーツの世界で輝かしい歴史を持つ3代目「スカイライン」。初代モデルからレースの勝利が販売に直結する時代背景もあり、プリンス自動車の時代から勝つための情熱と技術力の投入が続けられてきたクルマだ。今回は「GT-R」ではなく、「2000GT-X」にスポットを当てる。
プリンスと日産の合併で開発は軌道修正することに
「ハコスカ」の愛称で呼ばれる3代目スカイラインの開発は、1965年春から本格的に着手。2代目S50型はレースで勝つためにロングノーズのスカイラインGTを急きょ製作したが、3代目は最初から6気筒エンジンを搭載する2000GTも同時進行。当然、このときはプリンス自動車として、発展型のG7型直列6気筒SOHCエンジンを積む予定で設計を進めていたのである。
3代目スカイラインの開発コンセプトは「幅広いユーザー層をターゲットとした、高速化時代に相応しいファミリーカー」。2代目よりバリエーションを増やし、スポーティな味わいも強めようとしている。プラットフォームは、大きくわけると2種類。1.5L直列4気筒SOHCエンジンを積む1500シリーズ、そして2L 6気筒エンジンを搭載する2000GTシリーズだ。
車両設計を指揮したのは車両技術第1部長の田中次郎である。後にスカイラインの育ての親となる櫻井眞一郎などの部下たちは、「プリンスR380」と両方を掛け持ちで開発していたため大忙しだった。だが、開発が佳境に差し掛かったとき、社員たちは業界第3位のプリンス自動車が日産と合併し、吸収されると知らされたのである(合併は1966年8月)。
そのときの衝撃を櫻井眞一郎は、「すでに3代目のC10系スカイラインの開発は始まっていました。最初の試作車もできていたのです。運が悪ければ、スカイラインは2代だけで終わってしまうかな、と思いましたね。決定権を持っているのは日産。でも、なんとか開発は続けられました。ただし、コスト削減のためにブルーバードなどと部品を共用することになったのです。私が担当していたサスペンションも後にR32スカイラインをやる伊藤修令君に設計変更を命じました」と語っている。
搭載エンジンの変更などがありながら走りに磨きをかけた
このように3代目のC10系スカイラインは、開発の早い段階でつまずき、大幅な軌道修正を余儀なくされた。開発陣にもっとも衝撃を与えたのが、パワーユニットの変更だ。次期2000GTはプリンス製のG7型エンジンを積むことで設計を進めていたが、コスト面で有利という判断から、日産製のL20型直列6気筒SOHCに変更されたのだ。
急ピッチで開発は進められ、1968年夏に発売を開始。最初に発表されたのは4気筒エンジン、標準ノーズの「C10型」1500シリーズである。そして9月18日に「GC10型」ロングノーズ、青バッジの2000GTがベールを脱いだ。
スカイライン2000GTのフロントマスクは1500シリーズとほとんど同じだが、誇らしげに2000GTエンブレムが装着されている。リアビューは大きく異なり、左右のリアコンビネーションランプの内側にブラックのガーニッシュを挟み込んでいる。
長いノーズには、1998ccのL20型直列6気筒SOHCを搭載。トランスミッションはフロアシフトの4速MTを組み合わせる。サスペンションはフロントが1500シリーズと同じストラットとコイルスプリング、リアは独立懸架のセミトレーリングアーム/コイルスプリングだ。長いホイールベースと相まって優れた高速直進安定性を見せる。それでいてワインディングロードでは軽やかな路面追従性を発揮した。
初めてのフェイスリフトは1969年10月。ワンピースグリルを採用し、L20型エンジンは120psにパワーアップした。1970年6月には待望の3速AT、そして10月に2ドアハードトップの2000GT(KGC10型)を追加した。
1971年9月に2度目のマイナーチェンジを実施。2ドアハードトップにSUツインキャブの2000GT‒Xを追加設定している。GT‒Xはオプションで5速MTも選べた。1972年3月にセダンにもGT‒Xを設定。同年5月には、2000GTにも5速MTを設定している。