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フェラーリの伝説を残したチャンピオンマシンたち。「ル・マン24時間」100周年を記念して歴代モデルを振り返ります

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

1960年から1965年まで6連勝を飾ったフェラーリ

2023年もル・マン24時間レースの季節が近づいてきました。考えてみればル・マン24時間レースの初開催は、まだ第二次世界大戦の戦前だった1923年ですから、2023年は100周年のメモリアル大会となるわけです。そこで今回は、これまでル・マンで活躍し王者となったクルマたちを振り返ってみようと思います。ただし、戦前のル・マン24時間レースに関しては、7月に行われるル・マン・クラシックを取材したうえで紹介することにして、今回は1950年代のFR時代から60年代のミッドシップに移行した時代にかけてのフェラーリで、伝説の王者となったチャンピオンマシンを紹介していきます。

FRで最後の優勝者となったフェラーリ

ル・マン24時間レースは1940年から1948年まで第二次世界大戦と、戦後のフランス復興を理由に開催が中断されていましたが、1949年から再び開催されています。そして記念すべき1949年の第17回大会を制したのがフェラーリです。

1947年に設立されたフェラーリにとってはもちろん、初出場であると同時に初優勝。イタリア車としては戦前に活躍していたアルファ ロメオに次ぐ2例目となりました。クルマは市販モデルの「166MM」で、参戦チームは完全なプライベートでした。

その後、ルイジ・キネッティのような有力チームがエントリーするようになり、1952年にはとうとう、ワークスチームであるスクーデリア・フェラーリが登場しています。そしてその2年後、ワークス参戦3回目となる1954年には見事ワークスチームが勝利を飾りました。

この時のマシンは「375プラス」。前年に投入していた「375」のエンジン排気量を4.9Lにまで拡大したモデルで、猛追をかけ続けたワークス・ジャガーを振り切っての優勝。さらに1955年には「735LM」、1956年には「625LM」、1957年には315S、と次々に新型車両を投入してきましたが、最大のライバルとして君臨していたワークス・ジャガーに阻まれてフェラーリとしての3勝目、ワークスチームであるスクーデリア・フェラーリにとっての2勝目には、なかなか手が届きませんでした。

TRシリーズの投入で連勝を遂げる

そんなスクーデリア・フェラーリが1958年シーズンに向けて開発したマシンが「TR」シリーズ、いわゆる「テスタロッサ」です。1950年代前半に「500TR」と呼ばれる2L直4エンジンを搭載したモデルもありましたが、ここでいうTRシリーズは、ル・マン24時間レースを筆頭とした世界スポーツカー選手権を勝ち抜くための主戦マシンで、ジョアッキーノ・コロンボが設計した3Lの60度V12エンジンを搭載。

フェラーリ500TRC

とはいえマシンのパッケージとしてはフロントにエンジンを搭載して後輪を駆動するFRで、現代のレーシング・スポーツへと続くミッドシップ・レイアウトの採用は、もう少し先になっていました。

それでも、そのキャリア=レース戦績は見事なもので、1958年のル・マン24時間にデビュー・レース・ウィンを飾ると、翌1959年には、レース序盤にジャガーに代わって最強ライバルとなったアストンマーティンとのハイスピードバトルがたたってトラブルでワークスがリタイア。優勝をライバルに譲ったものの、1960年には「250TR59/60」、1961年には「250TRI/61」、そして1962年には「330TRI/LM」と毎年のように最新モデルの(=最新仕様にアップデートされた)TRが登場し、見事3連勝を遂げたのです。

とくに1962年の330TRI/LMはV12エンジンを、それまでの3Lから4Lに排気量を上げて390bhpに絞り出し、TRシリーズの集大成として、そして最強のTRとしてル・マンに参戦。FR車両としては最後の優勝マシンとして語り継がれています。なお、330TRI/LMが優勝した62年のル・マン24時間ではプライベート・エントリーの「250GTO」が2‐3位に入賞し、FRのフェラーリ3台が表彰台を独占することになっていました。

ミッドシップで初めてル・マン24時間を制したフェラーリ

そんなTRシリーズからバトンを受け継いだのは、最新のWECマシン、フェラーリ「499P」にも通じる……現代のレーシング・スポーツでは当たり前のパッケージとなっているミッドシップ・レイアウト、いわゆるMRを採用したPシリーズでした。その先駆けとなったのは「250P」。

名前が示すように、前任モデルの250TRと同じ3Lの60度V12エンジンを採用し、それをコクピットの背後に搭載することを前提に開発が進められました。ベースとなったのは2.4LのV6エンジンをミッドシップに搭載した「246SP」でしたが、V6エンジンをV12 エンジンにコンバートしたシャシーをマウロ・フォルギエリが新設計して開発が始められたようです。

鋼管スペースフレームに前後ダブルウィッシュボーン式のサスペンションを組み付け、4輪ディスクブレーキやラックアンドピニオンのステアリングも採用されていました。搭載されたV12エンジンは250TRと同様のシングルカム(V型だからカムは2本)ながらウェーバーキャブを6連装して310bhp/7500rpmを発生。5速ギアボックスが組み込まれたトランスアクスルとともにコクピット背後にマウント。

250Pは1963年シーズンに登場すると、初レースとなったセブリング12時間で1-2フィニッシュと華やかなデビュー・レース・ウィンを飾っています。そしてニュルブルクリンク1000kmでも優勝して迎えたル・マン24時間では250GTOを挟んでもう1台の250Pが3位に入りフェラーリが表彰台を独占。さらに6位までをフェラーリ勢が独占する圧勝劇となっていました。

1965年シーズンの優勝は意外な結果に

続く1964年シーズンを250Pの発展モデル、「275P」で戦ったワークス・フェラーリは、1965年シーズンには新たに開発した「275P2」とその排気量を拡大した「330P2」を主戦マシンとして戦うことになりました。大きな特徴としては、エンジンがツインカム(V型だからカムは4本)になったことで、最高出力は275P2(3.3L)で350hp、330P2(4L)で450hpを絞り出します。

また、フレームが鋼管スペースフレームからパイプで組まれたセンターセクションにアルミパネルをリベットで貼り付けた、いわゆるセミ・モノコックにコンバートされたこともP2の大きな特徴となっていました。この1965年のル・マンにはワークスから2台の330P2と1台の275P2が参戦。さらにプライベートチームから365P2が2台とバックアップとして5台の「275LM」が加わる強力な体制となりました。

これはもちろんフォードに対する「備え」でしたが、本番の決勝ではP2勢が次々とトラブルに見舞われて後退してしまい、プライベートの275LMが優勝するという意外な結末に。この275LMですが、正式には「250LM」と呼ばれていて250Pから派生したモデルですが、立ち位置としては250GTOの後継モデルで、ロードゴーイング仕様もラインナップされた市販モデルでした。

このようにさまざまなモデルが入れ代わり立ち代わりでル・マン24時間レースに参戦したフェラーリですが、1960年から1965年まで6連勝を飾るなど、当時の主役だったことは間違いありません。半世紀余りを経て、今年新たに登場した499Pがどんな活躍を見せてくれるのか、フェラーリ・ファンならずとも、今年のル・マン24時間レースには関心が高まっています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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