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いすゞ初代「ピアッツァ」の時空を超えた未来感にクラクラ!「ネロ」の元オーナーが語る「サテライトスイッチ」の使い心地とは【カタログは語る】

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

名作117クーペの後継としてジウジアーロがデザイン

時間軸でいうと、いすゞ「ピアッツァ」には初代とそれに続く2代目があった。初代は前身にあたる「117クーペ」が12年半のモデルライフを全うし、その後継車種として1981年5月に登場。117クーペにわずかに及ばなかったものの1991年の生産終了まで10年あまり続いた。そして同じ年、いすゞが生産する最後の乗用車にもなった2代目にバトンを託した。

昭和30年代生まれのハートを射抜いた未来感覚

とはいえ一般に「ピアッツァ」といえば、やはり真っ先に姿カタチが思い浮かぶのは初代だろう。117クーペに続きG・ジウジアーロ(イタルデザイン)のアイデアを元にいすゞが量産化を実現させた初代ピアッツァは、当時としてはこの世のクルマとは思えない、時空を超えた外形デザイン、インテリアにかけて他車を圧倒する存在だった。

このいすゞ・ピアッツァに初めて乗ったときのことは筆者は今でも鮮明に覚えている。それはまだ駆け出しの編集者だった頃のことで、仕事でピアッツァの広報車を受け取るために東京・大森の当時のいすゞ本社(ベルポートビルが建つ前の旧社屋の頃だった)へ出向き、たしか社屋の前の比較的広い歩道に受け取るピアッツァが用意され、そのクルマに乗り込んだのが最初だった。

ごく初期型だったからまだフェンダーミラー付きながら、そんなことは意に介さず、シルバーのピアッツァの実車が目の前にあることだけで頭がクラクラしそうになった。筆者はZ世代ならぬ、昭和30年代前半生まれの、いわば「スーパージェッター世代」だから、こういう未来感覚のクルマには滅法弱い。乗り込むと眼前にあるデジタルメーターやサテライトスイッチを目の当たりにして「なんて斬新なことか!」と感動を覚えた。

サテライトスイッチから外形デザインまで神経が行き届いていた

しかし内心構えていたものの、実際の使い勝手は、意外にもすんなりと馴染めた。ステアリングホイール左右のサテライトスイッチは原案をほぼ忠実に再現したもので、右手側のウインカーは薄い形状のレバーを2本の指先で挟んで上下させればよく(もちろんリターン機構も備わっていた)、左側の空調スイッチは、温度の上下がスライドスイッチ、吹き出し口の切り換えはフェザータッチのボタンスイッチ(指先で軽く押し込むとマイクロモーターがクゥン! と短く作動しモードが切り替わった)、さらにその外側には指先で手前に引く前後ウインドウデフォッガーと、配置、操作アクションが理にかなっているため、操作しやすいものとなっていた。

もちろん外形デザインは、ステキだった。GM「Tカー」=初代「ジェミニ」の足まわりがベースだったためにトレッドがいかにも狭いのが唯一の弱点、残念なところだったが、フラッシュサーフェスが行き届き、パネル同士の見切り線も最小限とした処理(クラムシェル型のボンネットがサイドフェンダーに被さる部分を想定し、サイドストライプは黒/赤、ネロは黒/ゴールドの2トーンとし、上側の黒がボンネットが覆い被さってできる陰の部分をカモフラージュする役割を果たしているのには関心させられた)など、細部にまで神経が行き届いていた。

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