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突然現れた「ストラトス ゼロ」に乗り込めた! カロッツェリア・ベルトーネ表敬訪問【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁

ストラトス ゼロに座った!

工房の中も見せてくれた。すでにジウジアーロもガンディー二も去った後で、はたして誰がベルトーネのチーフデザイナーになっているのかとても興味があったので、直接ヌッチオ御大にその質問をぶつけてみた。するととあるデザイナーの名前を告げてくれたのだが、聞き取ることもできず、即座に書いてくれとペンを渡すと、すらすらと二人のデザイナーの名前を書いた。

それが誰であったかは覚えていない。要はヌッチオ御大の直筆のサインが本当は欲しかったのだが、それを要求するのが憚られたので、この手を使ったまでのことである。その言わば私にとっての色紙はまだわが家のどこかにあるはずだが、発掘していないのでわからない。ヌッチオ御大は気さくに写真撮影に応じてくれて、単独のポートレート写真はボルボの前で、そして私との2ショットもニコニコしながら応じてくれた。

ストラトス ゼロについて前述したがこのクルマにはじつはサプライズがあった。われわれが歓談している中へ突然走って入って来たのである。その第一印象は、これ、動くんだ! であった。さらにサプライズが続き、なんとコックピットへのアクセスも許可してくれた。

ランチア ストラトスゼロ

乗り込むにはクルマをまたいで、しかもステアリングコラムを足で挟むような形でドライバーズシートに収まる。まあ正直言えば乗りづらいの一言だし、快適さもなかった。でも最高の経験である。走りはしなかったものの、そのコックピットからの眺めの低いことと言ったらなかった。ほぼフォーミュラカー並みである。

残念なことにベルトーネは2014年に倒産し、その前に所蔵していたコンセプトカーの何台かがオークションにかけられた。ストラトス・ゼロもその中の1台だった。

ゼロ以外にこの時目にしたモデルには、もちろん量産されたランボルギーニ「ミウラ」やランチア ストラトスなどとともに、フェラーリ「レインボー」、ランボルギーニ「アトン」、それにシトロエン「BX」の元となったボルボ「ツンドラ」などがあった。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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