ベルトーネを表敬訪問するとまさかの出来事が……!
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載がスタート。第3回目はカロッツェリア・ベルトーネを訪問したときに見かけた、ランチア「ストラトス ゼロ」との出会いを振り返ってもらいました。
おびただしい数のベルトーネ作品を並べて歓迎
カロッツェリア・ベルトーネを訪れたことがある。1985年のことだ。当時まだ御大のヌッチオ・ベルトーネも健在で、なんとツーショットの写真も撮らせていただいた。ことの発端はその年のジュネーブショーでボルボが同社のフラッグシップカー「780」を発表し、その取材と試乗を兼ねてボルボがジャーナリストを連れていってくれたのだ。
そんなわけだからまずはジュネーブショーでその発表に立ち会い、その足でイタリアのトリノに。そこでデザインをしたベルトーネを表敬訪問したというわけだ。
ベルトーネの工房はオートモビリアという出版社が紹介したベルトーネの本に出ていたから知っていた。まさにその場所におびただしい数のベルトーネ作品を並べてわれわれを歓迎してくれたのだ。前述したように780のデザインはベルトーネが担当した。ボルボではそれ以前にも「262クーペ」を手がけたことがあって、両社は再び手を結んだということになるのだが、言ってみればベルトーネにとってボルボは優良な顧客だったということだろう。だからこのような歓迎をしてくれたわけである。
少なくとも写真でしか見たことのなかった綺羅星のコンセプトカーが目の前にあった。なかでも個人的に大好きだったランボルギーニ「マルツァル」にお目にかかれた。他にもブラボー、「ストラトス ゼロ」など、本当にズラリで唖然とする光景である。
ストラトス ゼロに座った!
工房の中も見せてくれた。すでにジウジアーロもガンディー二も去った後で、はたして誰がベルトーネのチーフデザイナーになっているのかとても興味があったので、直接ヌッチオ御大にその質問をぶつけてみた。するととあるデザイナーの名前を告げてくれたのだが、聞き取ることもできず、即座に書いてくれとペンを渡すと、すらすらと二人のデザイナーの名前を書いた。
それが誰であったかは覚えていない。要はヌッチオ御大の直筆のサインが本当は欲しかったのだが、それを要求するのが憚られたので、この手を使ったまでのことである。その言わば私にとっての色紙はまだわが家のどこかにあるはずだが、発掘していないのでわからない。ヌッチオ御大は気さくに写真撮影に応じてくれて、単独のポートレート写真はボルボの前で、そして私との2ショットもニコニコしながら応じてくれた。
ストラトス ゼロについて前述したがこのクルマにはじつはサプライズがあった。われわれが歓談している中へ突然走って入って来たのである。その第一印象は、これ、動くんだ! であった。さらにサプライズが続き、なんとコックピットへのアクセスも許可してくれた。
乗り込むにはクルマをまたいで、しかもステアリングコラムを足で挟むような形でドライバーズシートに収まる。まあ正直言えば乗りづらいの一言だし、快適さもなかった。でも最高の経験である。走りはしなかったものの、そのコックピットからの眺めの低いことと言ったらなかった。ほぼフォーミュラカー並みである。
残念なことにベルトーネは2014年に倒産し、その前に所蔵していたコンセプトカーの何台かがオークションにかけられた。ストラトス・ゼロもその中の1台だった。
ゼロ以外にこの時目にしたモデルには、もちろん量産されたランボルギーニ「ミウラ」やランチア ストラトスなどとともに、フェラーリ「レインボー」、ランボルギーニ「アトン」、それにシトロエン「BX」の元となったボルボ「ツンドラ」などがあった。
■「クルマ昔噺」連載記事一覧はこちら