クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • 【ル・マン4連勝】フェラーリを完膚なきまでに打ち負かした「フォードGT」は、歴史的王者になった!
CLASSIC
share:

【ル・マン4連勝】フェラーリを完膚なきまでに打ち負かした「フォードGT」は、歴史的王者になった!

投稿日:

TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

ル・マン4連勝を飾って歴史的王者になった

以前に紹介した一連のフェラーリを、戦後のル・マン24時間ヒストリーで最初の王者とするならば、それに続く王者は「フォードGT」でしょう。GT40の愛称で知られるフォードGTは、フォードがル・マンを制するために、何よりもフェラーリを打ち負かすために開発されたマシンで、ヘンリー・フォードII世とエンツォ・フェラーリ、双方の想いの相違もドラマ仕立てでした。今回はフォードGTを振り返ります。

フェラーリの買収から一転し、最大のライバルとして戦ったフォード

現代に続く自動車産業の原点とも評される「フォードT型」で世界のトップメーカーとなったフォードは、第二次世界大戦が終結し、誕生したベビーブーマーに向けてのイメージアップ作戦としてモータースポーツに力を入れることとなりました。

そして考え出された策がフェラーリの買収でした。当時のフェラーリは「本業」と位置付けていたF1GPに加えてル・マン24時間レースを筆頭とするスポーツカーレースでもライバルを圧倒する好成績を残しています。

また数々の戦後モデルがヒットして経営基盤がより盤石になったフォードと、レースでの好成績とは対照的に1960年前後に経営危機を迎えていたフェラーリ、といった当時の経営状況を考えても、この買収劇はすんなりと決着を迎えることが予想されていました。

しかし、フォードの首脳がマラネロを訪問し、いよいよ最終調印となった段階で、この買収劇は決裂してしまいます。イタリア自動車工業会のゴッドファーザーであるフィアットが反対した、などとする数々の理由が考えられましたが全ては闇の中。

フォードがフェラーリの支配に失敗したことが結果として残りました。そしてそこからフォードの、ル・マン24時間レース制覇に対する「野望」が始まることになったのです。ちなみに、フォードのモータースポーツへの関わりはずっと旧く、フォードが創業された1903年の2年前、1901年にデトロイトで開催されたレースにおいて、ヘンリー・フォードが自ら製作した「フォード999」で優勝していますから、フェラーリの買収もフォードにすれば理に適ったプロジェクトだったのでしょう。

フォード999

そんなフォードは、フェラーリの買収が失敗に終わると、すぐに新たなプロジェクトを立ち上げます。それは自らル・マン24時間にチャレンジしようというもので、具体的には以前からエンジン供給で関係のあったイギリスのコンストラクター、ローラ・カーズとのジョイント……。ローラが組み上げたシャシーにフォード製のプッシュロッドV8エンジンを搭載したレーシング・スポーツカーを製作し、それでル・マン24時間レースに参戦しよう、というものでした。

当初の目的であるル・マン24時間レース=モータースポーツで活躍することで企業のイメージアップを図るということに加えて、契約寸前の土壇場に来て買収劇を破談としたフェラーリに対する敵愾心のあったことは否定できないでしょう。そして結果的に、1960年代半ばのル・マン24時間は、王者フェラーリと挑戦者フォードのマッチゲームとなっていったのです。

12

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS