ポルシェが主役に躍り出た記念すべきマシン
排気量4Lのフェラーリや5~7Lのフォードといった戦後世代の大排気量マシンが続々と登場し激しいバトルを繰り広げるようになった1960年代のル・マン24時間レース。総合優勝を争うこれら大排気量車の後方で、着実な走りを見せていたのがポルシェでした。のちに総合優勝を争うようになるポルシェも、この時点では小排気量のクラス優勝を続けるマイナーな存在でしかありません。そんなポルシェが主役に躍り出た記念すべきマシンが、グループ6(レーシング・プロトタイプカー)の「917」です。今回はポルシェ917を振り返ります。
ポルシェのル・マン初参戦は1951年/第19回大会の356
意外なようですが、じつはポルシェのル・マン24時間初参戦は早く、1951年の第19回大会でした。戦時中の休止期間を終えて1949年に再開してからわずか2年後の3大会目のことで、戦後におけるドイツ車の先陣を切っての参加となりました。1086ccのフラット4をリアに搭載した「356」のSLクーペは快調に周回を重ねて総合20位でチェッカーを受け、1.1L以下のクラスで見事優勝を飾っています。
さらに翌1952年の第20回大会では同じく356のSLクーペが総合11位で24時間を走り切って1.1L以下のクラスで連覇を果たしています。1953年以降もポルシェは、毎年のようにクラス優勝を重ねていくのですが、いずれも1.1L以下、あるいは1.5L以下の小排気量クラスでの優勝であり、排気量が3倍近く、あるいはそれ以上もあったジャガーやメルセデス・ベンツには及ぶべくもありません。
そんなポルシェが初めて総合優勝を争うようになったのは、1968年の第36回大会からです。この年、スポーツカーの世界選手権のレギュレーションが一部変更され、プロトタイプカーの排気量が3L以下、連続する12カ月間に50台以上を生産することが必須とされるスポーツカーの排気量も5L以下に制限され、その両者によって国際メーカー選手権が争われることになりました。レギュレーション変更に合わせて製作されたマシンが、3Lのフラット8を搭載したスポーツ・プロトタイプのポルシェ「908」でした。
この年のル・マン24時間は、五月革命で激化した学生運動や労働者のストライキの影響で9月末まで延期されていましたが、その結果全10戦で争われるシリーズの最終戦に。ル・マン24時間を迎えた段階でポルシェが5勝、フォード「GT40」で戦うJWオートモーティブ・エンジニアリングが4勝をマークしていて、ル・マン24時間で勝った方がチャンピオン、とのお膳立てができ上がっていました。
予選ではポルシェが先制します。トップ3までをワークスの「908」が独占したのです。これで初の総合優勝に近づいたかに思われたポルシェでしたが、決勝ではトラブルがワークス・ポルシェを襲います。結局24時間レースではJWチームのフォードGT40が優勝してタイトルも獲得。ポルシェのル・マン24時間制覇は翌年以降にお預けとなってしまいました。