クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • SPORT
  • ポルシェ「936」がターボエンジンとして初のル・マン制覇! アルピーヌとの違いは信頼性の高さでした
SPORT
share:

ポルシェ「936」がターボエンジンとして初のル・マン制覇! アルピーヌとの違いは信頼性の高さでした

投稿日:

TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了

レギュレーション一杯の排気量に合わせたポルシェ

そして、本論の936です。先にふれたように936は930をベースにした、とされるグループ6ですがシャシーは917をベースとしたスペースフレームで、これにターボエンジンを搭載しているのですがグループ6=3L以下のレギュレーションに則ってエンジンの排気量を2142cc(ボア×ストローク=83.0mmφ×66.0mm)に縮小。ターボ係数の1.4を掛けて2998.9ccとレギュレーション一杯の排気量に合わせていました。

最高出力は540psで935の590psには及びませんが3L NAのアルファ ロメオ(470~500ps)はもちろん2Lターボのアルピーヌ(520ps)よりもハイパワーで優位に立っていて、デビューシーズンとなった1976年の世界スポーツカー選手権では7戦7勝とライバルを圧倒。

シリーズ戦から独立していたル・マン24時間レースでも、1976年にはワークス・ポルシェがカムバックし、これがル・マン・デビューとなった936は、ポールポジションをルノー・アルピーヌに譲ったものの決勝では常に優位なレースを展開します。

日曜日のお昼前に排気管が割れるトラブルで30分以上もピットで修復作業を続けることになりましたが、それでも2位に10周の差をつけたまま長い作業を終えてピットアウト。悠々と24時間レースを走り切っています。ターボ・エンジンとして初のル・マン制覇となりました。

ル・マン24時間の3勝を飾ったものの、ルノー・アルピーヌの速さに危機感を感じたポルシェは、翌1977年の世界スポーツカー選手権シリーズをパスし、ル・マンに集中することになりました。そして迎えた第45回大会のル・マン24時間レースは、ポルシェとルノー・アルピーヌの「二強激突」に湧くレース展開となりました。ポルシェ936/77

2台の936と1台の935を、それぞれ1977年仕様に進化させたポルシェ・ワークスに対して、ルノー・ワークスもアルピーヌA442の最新仕様を4台(うち1台はサテライトのオレカで、これがル・マン初参戦)エントリーし、加えて1975年の勝者で1976年にも2位入賞をはたしているミラージュにA442と同様の2L V6ターボ・エンジンを貸与してバックアップ体制を組んでいました。

予選からアルピーヌ勢が速さを見せつけフロントローを独占すると、決勝でもポールポジションから飛び出したジャン-ピエール・ジャブイーユ/デレック・ベル組が快走を続けました。

ポルシェが信頼性で勝った1977年のル・マン

一方のワークス・ポルシェ勢は次々とトラブルに見舞われます。バックアップ担当だった935がスタート早々にエンジン・トラブルでリタイアとなり、ユルゲン・バルト/ハーレイ・ヘイウッド組の936も燃料ポンプの交換を強いられ30分ほどのタイムロスで最後方までポジションを下げてしまいました。

そしてただ1台、トップグループで走っていたイクス組の936もコンロッドが折れるトラブルからリタイアとなってしまったのです。そこでワークス・ポルシェはイクスをバルト組の936に乗せることにし、これに応えてイクスはナイトドライブで鬼神の追い上げを見せることになりました。

イクスは、15位から3台のアルピーヌに次ぐ4位まで進出しますが、そこからはトップ3を形成していたアルピーヌ勢に次々とトラブルが襲い掛かります。そして結果的にトップから6周遅れとなっていたイクスがトップに立つことになったのです。ところがこの年のル・マンは最後までドラマ仕立てでした。

残り1時間を切ったところでトップを行くイクス組にトラブルが発生。1気筒のピストンが溶けてしまったのです。2位のミラージュとは20周近い差があり抜かれる心配はなかったのですが、自力で24時間を走り切ってチェッカーを受けないと優勝はできません。

ピットでその時を待っていた936は午後4時少し前にバルトがドライブしてピットアウト。フラット6から1気筒を失った5気筒エンジンでゆっくりとコースを周回していったバルトは、何とかゴールラインを横切って優勝を飾ることになりました。速さはアルピーヌが圧倒的でしたが、ポルシェが信頼性で勝った、そんなル・マンでした。

続く1978年のル・マン24時間ではルノー・アルピーヌが悲願の初優勝を飾り、1979年はポルシェのサテライト、クレマー・レーシングが935で優勝。さらに1980年にはイナルテラを名乗るロンドー・フォードが勝って次々とウィナーが変わっていきましたが、1981年にはワークス・ポルシェが最新仕様となった936/81で優勝を飾り936として3勝目、ポルシェとしての6勝目をマークしています。

この時936/81が搭載していたエンジンは、翌1982年から始まるグループCによる世界耐久選手権(WEC)に向けて新開発された2650ccフラット6+ターボの935/76型エンジンで、1982年からはこれを搭載した新グループCの956が連勝を重ねていきます。

12
すべて表示
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
著者一覧 >

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS