ジャガーを代表する名車が蘇った
ジャガーの歴史の中で、数々の栄光を手にしてきた名車「Cタイプ」および「Dタイプ」が、現代の技術を用いて復活。コンティニュエーション・モデルとして、数量限定で販売されています。そんな希少モデルが日本に登場し、披露されました。
アメリカ市場での成功もあり生み出されたXK120
1950年代のジャガーは、さまざまな意味でひとつの黄金期を迎えていた時代だったと考えられる。1945年に社名をそれまでの「SSカーズ」から「ジャガー・カーズ」へと変更していた同社は、アメリカ市場の積極的な拡大などにより、独自のセールスやサービス網を築き、さらに前後して「マークV」や「XK120」といったニューモデルを生み出すことに成功していたからだ。
とりわけさまざまなショーで注目を集めたのは、第二次世界大戦前に登場した「SS100」の後継車といえるXK120。その注目度は高く、実際それに使用されたメカニズム、例えば3.4Lの直列6気筒DOHCエンジンなどは、「XK100」のそれがOHVだったことを考えれば、まさに画期的な進化といえた。
その人気に後押しされる形で、ジャガーはXK120の大量生産に向けての改良作業に取りかかる。1951年には搭載されるXKエンジンの性能向上を図るためのスペシャル・エクイップ(SE)仕様を追加。アルミニウム製のボディはより安価なスチール製に改められ、1951年にはフィクスド・ヘッド・クーペが、また1954年にはコンバーチブルのラインナップが出揃う。価格的にもライバルに対して安価だったXK120は、多くのプライベーターによってサーキットに持ち込まれることになったのだ。
ル・マン24時間勝利のために生み出された
そのXK120をベースとしたコンペティションモデルが「XK120C」、すなわちCタイプである。ジャガーがCタイプを開発した目的はただひとつ、1951年のル・マン24時間レースに初参戦し優勝を果たすこと。そしてその目的は見事に達成することができたのだ。翌1952年はさらにエアロダイアミクスを追求した結果、フロントグリルは小型化されたものの、そのためにエントリーした各車はオーバーヒートに悩み、全車がリタイヤ。2年連続の勝利はならなかった。
Cタイプのコンペティション・フィールドにおける活躍は、その後継車であるDタイプにも受け継がれている。そのスタイルはCタイプよりもさらに低く、見た目にも高いエアロダイナミクスを想像させるだけではなく、基本構造もCタイプからはかなりの改善があった。
マグネシウム合金を使用したセンターモノコックを持つことなどはその代表的な例で、フロントサスペンションはこのモノコックから延びるサブフレームに接合される。
パワーユニットはCタイプと同様に3.4LのXKエンジンとされたが、燃料供給はウェーバー製のキャブレターに代わり、オイルの潤滑方式もドライサンプに改められた。最高出力は250psと当時発表されている。
そしてDタイプは、ル・マン24時間レースでCタイプ以上の活躍を見せてくれた。それは1953年から1956年までの3年連続総合優勝という偉業だったが、翌1957年からスポーツカー・レースの車両規定が3L以下に改められたことで、Dタイプはモータースポーツの第一線から退くことになった。当然のことながらジャガーにはDタイプの在庫が数多く残る事態に陥るが、それはロード用の「XKSS」として販売されることによって解決された。