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打倒ポルシェ! ジャガーが31年ぶりにル・マン24時間の王座を奪還するまでの長い道のりとは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/Jaguar Land Rover

ポルシェを打倒! ル・マン24時間を制したジャガー

ル・マン24時間レースで1982年から1987年まで、じつに6連勝を飾ったポルシェ「956/962C」。ほぼ同一メカニズムのクルマによる6連勝は他に例がなく、同車が最速最強のグループC(Gr.C)と呼ばれるゆえんです。しかし王者には必ず敗れるときが訪れます。ポルシェ956/962Cの場合は世界中のメーカーが「打倒、ポルシェ!」を合言葉に競争力を磨いて世界スポーツ・プロトタイプカー選手権(WET)を競い、またル・マンにこぞって参戦を続けてきました。そしてポルシェ打倒を目指したメーカーの、先陣を切ることになったのがジャガーでした。

TWRとジョイントしたジャガー、50年代の栄光再び

ジャガーといえば戦後の1950年代に、「XK120C」による初優勝や「Dタイプ」による3連勝など、都合5勝を挙げて一時代を築いたメーカーです。そして1961年に登場したロードモデルのスポーツカーも、レースにおけるDタイプの速さと強さを思い起こさせる「Eタイプ」と命名され、イギリスを代表するスポーツカーとして広く知られます。

そんな経緯を持つジャガーだけに、打倒ポルシェを合言葉に世界中のメーカーがこぞって参戦しているル・マン24時間を黙って見ているわけにはいかなかったのでしょう。ただし1950年代とはレースの内容も位置づけも様変わりしていましたから、ジャガーも自らレーシングカーを組み立てて参戦するのではなく、スペシャリストにワークス活動を託す格好でレーシングプロジェクトを進めることになりました。

相手に選ばれたのはトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)。北米においてジャガーでレースを戦っていたグループ44レーシングがジャガー「XJR-5」でル・マンにも参戦していましたが、ジャガー本社では「XJ-S」でヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)を戦い、1984年に見事チャンピオンに輝いたTWRを選ぶことになったのです。

IMSA-GTPマシン

TWRが製作したマシンは「XJR-6」。グループ44レーシングが1984年のル・マン参戦時に使用していたXJR-5と、その後継モデルとなった「XJR-7」と連番になっていますが、XJR-6はその両車とは全く無関係で、ジャガー製のV型12気筒エンジンを搭載すること以外に、メカニズム的な共通点も見当たりません。

またXJR-6は、ル・マン24時間レースやWECで圧倒的な王座を築いていた最強最速のグループC、ポルシェ956/962Cとはマシンに対するフィロソフィが大きく異なります。エンジンに関してはポルシェが2.65Lのフラット8をターボで武装していたのに対して、ジャガーはロードカーのXJ-Sや「XJ12」で使用されているシングルカムの6L V12エンジンを6.2Lまで排気量を拡大して搭載。

シャシーに関してもポルシェがアルミパネル製のツインチューブ式モノコックを採用していたのに対して、ジャガーはカーボンで成形されたモノコックを採用。フラット8に比べると、より効果的なV12エンジンを搭載していることから、グランドエフェクトに関してもポルシェに比べて大きくレベルアップしていました。

手がけたデザイナーはトニー・サウスゲート。フォーミュラの設計では数々の名車を手がけていて、AARのイーグルでインディ500マイルを制し、BRMのP153を手始めにF1GPでも数々の優勝を飾りました。そんなサウスゲートは1980年代にスポーツカーを手がけるようになり、フォードではGr.Cの「C100」やGr.Bの「RS200」を誕生させていて、いよいよGr.Cの主戦場に進出することになったのです。

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