初代ギブリの後継としてデビューするも商業的にはヒットせず
1970年代中ごろ、子どもたちの周りにあるさまざまなモノがクルマ関連グッズと化した空前絶後の「スーパーカーブーム」。当時の子どもたちを熱狂させた名車の数々を回顧するとともに、今もし買うならいくらなのか? 最近のオークション相場をチェック。今回はマセラティ「ギブリ」の後継として登場しながらもヒットに恵まれなかったFRの2+2GT、「カムシン」を振り返ります。
華麗なスーパーカー群像の中では渋すぎた?
スーパーカーブーム全盛時は、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェという3ブランドが、いわゆる「御三家」として子どもたちからとくに注目された。そのような状況の中でマセラティやランチア、デ・トマソなどは少しだけマニアックな存在として捉えられていたが、それらのバイプレーヤーも魅力的なモデルをたくさんリリース。ちょっと天邪鬼な志向の子どもたちはフェラーリやランボルギーニのメジャーなV12スーパーカーではなく、V6/V8エンジンを積んでいるニッチなエキゾチックカーのほうに魅せられた。
往時にニッチ路線エキゾチックカーをいくつもリリースしていたのがマセラティだ。同ブランドが送り出したモデルのうち、「ギブリ」、「ボーラ」、「メラク」(いずれもジョルジェット・ジウジアーロがデザイン)こそ正統派のスーパーカーだったが、「メキシコ」、「インディ」、「カムシン」、「キャラミ」あたりは、子ども目線ではカッコいいポイントを見つけづらいモデルであった。
その俊足ぶりは子どもたちには知るよしもなかった
なかでも難解だったのが、初代ギブリの後継モデルとして1972年に登場したカムシンである。デザインを担当したのがランボルギーニの「ミウラ」や「カウンタック」を手がけたことで知られるマルチェロ・ガンディーニで、美しいウェッジシェイプだったにもかかわらず、子どもたちに上記の2台のような強烈な感銘を与えることはできなかったのだ。ちなみに、車名になったカムシンとは、北アフリカおよびアラブ地方に吹く高温の乾熱風のことで、これもマセラティ伝統の「風シリーズ」のひとつだった。
マセラティのフラッグシップとして君臨したギブリと同じように、カムシンもフロントエンジンの2+2GTだった。スーパーカー的なプロポーションよりも高い実用性が求められたため、分かりやすいカッコよさを演出するのが難しかったのであろうが、装飾的なパーツが廃され、リアデッキが高く、後方視界を確保するためにエンドパネルがガラスになっているボディは、前から見ても後ろから見ても、子どもたちの心には刺さらなかった。
スーパーカーブーム全盛時にカムシンを巡っては、「FRである」、「マセラティの最強モデルのひとつである」、「ベルトーネがデザインしたスーパーカーである」、といったことばかりがフィーチャーされ、スペック的なことが語られる機会は少なかったが、最高出力320psを発生する排気量4930ccの水冷90度V型8気筒DOHCエンジンをフロントに搭載し、275km/hという最高速度をマークすることができた。トランスミッションは、5速MTと3速ATが用意されていた。この俊足ぶりを往時の子どもたちが知っていたら、もしかしたら評価が変わっていたのかもしれない。
シトロエン系パーツの信頼性の低さがアダになった
1970年代に生産されたマセラティ製スーパーカーの例にもれず、パワーステアリング、ブレーキ、クラッチ、シートの調整機能、リトラクタブルヘッドライトの開閉機構などに当時の親会社だったシトロエンの油圧システムが用いられていたが、この部分の不具合が多発。オイルショックの影響も受け、シトロエンの支配下にあった時代のマセラティが最後に発表したモデルであるカムシンは商業的には大失敗作となり、1982年まで10年にわたり生産されたが430台しかラインオフしなかったといわれている。
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まさに幻のスーパーカーだが、たまに売りに出ることもある。2019年10月にイギリスでRMサザビーズが開催した「LONDON」オークションには、新車で英国にて納車された右ハンドル仕様の1976年式カムシンが出品され、6万6125ポンド(当時レートで邦貨換算約920万円)で落札された。データをチェックするとオドメーターが2万4500kmと記載されていたので、往時のマセラティの設計思想を知ることができる貴重な自動車世界遺産のサンプルであると言えるだろう。
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