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日本がル・マンを初制覇したのはトヨタではない! マツダ「787」はロータリーでも初優勝という伝説の1台でした

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/マツダ

ツーリングカー・ベースから純レーシングカーにステップアップ

マツダオート東京のRX-7 254が初めて完走を果たした1982年は、ル・マン24時間にとっても新たなステージが始まったシーズンとなりました。車両規定が一新され、それまでのグループ6から新たに制定されたグループCへと主役が移っていったのです。

そこでマツダオート東京から1983年に誕生したマツダスピードでは、市販車ベースのグループ5から、純レーシングカーのグループCジュニア(1984年からはC2と改名)へと参戦カテゴリーをステップアップさせました。

先駆けとなった「717C」は1983年のル・マン24時間に参戦し見事クラス優勝。総合でも12位と国産競技車両の最高位記録を塗り替えることになりました。もう1台も総合18位/クラス2位と上々の結果を残しています。

その後717Cは1984年には「727C」、1985年には「737C」と進化を続けながらも毎年、2台エントリーした2台ともがクラス上位で完走。1986年には参戦車両が一段レベルアップを果たしています。「757C」と呼ばれるマシンは、搭載するエンジンが2ローターの13Bから3ローターの13Gに変更され最高出力も300psから450psへと1.5倍もパワーアップ。

参戦カテゴリーもC2からC1に準じたIMSA-GTPカテゴリーへとスイッチしています。デビュー戦となった1986年の第54回大会では残念ながら、2台ともにリタイアとなってしまいましたが、翌1987年の第55回大会でも2台参加したうち1台はリタイアしたものの、もう1台の方は総合7位IMSAクラス優勝を果たしています。

R26Bの最高出力は700ps!

1988年からはエンジンが4ローターとなり当初の13J改から1990年にコンバートされたR26Bでは最高出力は700psにまで引き上げられました。また1988年からは参戦体制が強化され3台エントリー。そして3台のうち2台が最新モデルで1台が前年モデル、つまり性能を高めた2台に信頼性のある1台をバックアップにした3台体制となったのです。

そして勝負の年、1991年の第59回大会を迎えることになりました。新たに用意された主戦マシンは「787B」。前年の主戦マシン、「787」をブラッシュアップしたモデルで、787で初採用されたカーボンモノコックも継承されていました。

エンジンも787と同様に排気量は2616cc 4ローターのR20B(654cc×4)を搭載。最高出力は700psで前年仕様と変わりありませんでしたが吸気管長を可変させるシステムを787の多段式から787Bではリニアに変化させていく無段階コントロール式とし、可変(伸縮)の幅も150mmから175mmに延長したことで最大トルクが58kgmから62kgmに引き上げられるとともにトルクカーブが改善され、有効なトルクが低回転域から得られるようになっていました。

R26B

787Bのデビューレースは1991年4月の鈴鹿、このシーズンから始まったスポーツカー世界選手権(SWC)の開幕戦でした。F1GPマシンと同様の自然吸気3.5Lエンジンに制限された新しいグループC(カテゴリー1)が主役ですが、このシーズンに限っては旧グループCマシン(カテゴリー2)も参戦できる特例が認められていましたから、787Bもカテゴリー2として参戦していました。

プジョーとジャガーが2台ずつ持ち込んだカテゴリー1は多くが430kmのスプリントレースでも苦戦を余儀なくされ、結果的に1台だけレースを走り切ったプジョーが優勝。2位以下にはカテゴリー2の車両が続きましたが、これがデビュー戦となった787Bは総合6位入賞を果たしています。

鈴鹿のレースを終えてから、フランスはポール・リカールで24時間/5000kmのテストを行って信頼耐久性を確認。モンツァとシルバーストンでシリーズ戦を2レース戦ったのち、目標としていたル・マン24時間を迎えることになりました。

トップを快走していたザウバー・メルセデスがオーバーヒート

シルバーストンまでは1カーエントリーだったマツダスピードも、5月の全日本富士1000kmでデビューした2号車が加わり、ル・マンでは2カー体制に。さらに前年の主戦マシンだった787がバックアップとして3台がエントリーという形にとなったのです。

予選ではカテゴリー1とカテゴリー2の各車が入り乱れる結果となりましたが、決勝レース、24時間の長丁場となると、やはりカテゴリー2に分があり、気がつくと上位陣にはカテゴリー2勢が名を連ねていました。ただし、前年に圧勝して今回も本命にあげられていたジャガーは、新レギュレーションによって課せられた重量増から燃費が厳しくなってスピードが伸びず、1989年に初優勝を飾っていたザウバー・メルセデスが優位な展開に持ち込んでいました。

787Bは、その後方につけていましたが、彼らがプッシュを続けてプレッシャーをかけ続けたからか上位でレースを続けていたザウバー勢も1台、また1台とトラブルで後退していきました。そして24時間レースも残り2時間が近づいたところで唯一快調にトップを快走していた最後のザウバー・メルセデスがオーバーヒートから脱落。

ここで787Bにラップリーダーの立場が巡ってきました。2~4位につけたジャガーとは2周の差がありましたが、レースはチェッカーが振られるまでどうなるか分かりません。残り2時間は、マツダの関係者にとってどれほど長かったでしょうか。でもトップに立った787Bは最後の最後まで快調に周回を重ねていき、マツダにとって悲願となっていたル・マン制覇をもたらすことになりました。

もちろんこれは国産(ブランド)車両にとっても、RE/非レシプロエンジンにとっても初の栄誉となったのです。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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