コクピットのレイアウトも異様な雰囲気
日本国内に棲息するおそらくたった1台の貴重なM12。シャシー番号は11だ。現オーナーのMr. AONOは以前にW8も所有したことがあり、そのときも黒い個体をテストに供してくれたが、今回もまた前述した欠点を調整し準備万端となったオレンジカラーも鮮やかなM12を気前よく貸し出してくれることになった。
間近で見るM12のスタイリングは、やはり異様というほかない。キャビンまわりが大きく膨らんだフォルムは前方から見下ろすと、まるで海底に潜む平目のよう。極端にキャビンフォワードに見えるのは、前述したように巨大なパワートレインを常識的に縦置きしたため。シザードアはランボルギーニのそれに比べて生物的で、かなり湾曲している。そのためか、視界をより確保すべく、くの字に曲げられたドアの中央下にも横長のウインドウがある。
ドアを開けて覗き込んだキャビンは見るからに狭い。身長170cmでしかない筆者でも乗り込むのをためらうような見た目の広さ感で、大きなアメリカ人が果たして乗ってみたいと思うか疑問だ。それでもひとたび潜り込んでしまえばなかなか広い、というのが狭く見えるスーパーカーの常だが、M12は乗り込んでもなお窮屈である。とくに足元は狭い。アクセルとブレーキペダルはなんとか踏めるが、クラッチの踏み込みが重いのに難しい。巨大なパワートレインを無理やり縦置きにした結果、ギリギリまでキャビンを前進させざるを得なかったのだろう。
このあたり、ウィガートやスタンツァーニがなぜに変わったレイアウトに挑戦したのか、その理由の一端が窺えると思う。ロードカーに要求されるキャビン空間をある程度快適に確保しようと思えば、常識的=レーシングカー的なレイアウトなど採用できない、というわけだ。きっとスハルトの息子は背が低かったに違いない!
インテリア全体の雰囲気は硬派でシンプルだけれども一定のラグジュアリー感も有している。アナログ速度計は360km/hまで刻まれていた。ストロークの短いシフトレバーの頂点には大きな球形のノブがつく。左手前下が1速のレーシングパターンだ。
意外なほど扱いやすいマトモなスーパーカー
よく調整されていたからだろう。キーをひねればV12エンジンが難なく目覚めた。サウンドはまさにディアブロだ。左足付近はスペースがほとんどない。重くはないが踏むことが難しい。尻を浮かせるようにして苦労しならが左足を深く踏み込み、ギアを入れてゆっくりと繋げていく。アイドリングスタートだ。踏むのに苦労するけれど、実用トルクは十分だから、その後はあっけなく走り出す。
一般道を走っていて驚いたのは、思っていた以上にボディ骨格がしっかりしているという点だった。正直、少量生産のプロトタイプみたいなクルマである。普通ならばどこかに危うさが漂っていてもおかしくない。このクルマにはそういう危うさがまるでない。
おそらく車体の基本設計のレベルがそもそも相当高かった。アメリカにはスーパーカーの技術などさほどないように思われがちだが、飛行機や宇宙関連といった、それこそF1が新技術を求めるような領域へのアクセスは比較的たやすいはず。それこそウィガートが世界一のスーパーカーを生み出そうと決心した背景には、「月まで人を運べる技術大国が路上で最も速いクルマを作れないなんてことはあり得ない」という信念があったからだ。
強烈な加速フィールが印象的だったW8に比べると、自然吸気V12エンジンの加速はまだしも優しい。予想の範囲内だ。けれどもエンジンフィールは素晴らしい。ディアブロのエンジンってここまで気持ちよかったのか! と再認識する。もっとも熟練メカによるメンテナンスのおかげということもできるけれど。
4000回転あたりのフィールとサウンド、そして力感が素晴らしい。決して速くはない。けれどもこのエンジンをマニュアルで操るという行為がすでに楽しいのだ。道が続く限り加速するような感覚もまた、大排気量12気筒NAエンジンの魅力というものだろう。
面白いことに、これほど異様なスタイル、ディメンションだというのにとても扱いやすい。ドアあたりが一番膨らんでいるので車幅感覚も掴みやすく、安心してアクセルを踏んでいける。ブレーキパフォーマンスは今となってはそこそこレベルだが、それもまたこの時代の楽しさというものだろう。
ヴェクター M12は、マトモに動きさえすれば想像する以上にマトモなスーパーカーである。アメリカンな印象はもはや皆無であったけれど……。
1996年に誕生したヴェクター M12はその後、99年まで生産された。その年、ランボルギーニはアウディグループの傘下に入っている。