レーレの総生産台数はわずか285台
イソというメーカーについて少しお話したいが、元々はイソ サーモスという、主として冷蔵庫などを作るメーカーとしてスタートした。その後レンゾ・リボルタによって買い取られて社名をイソ リボルタとし、自動車生産に乗り出すことになった。
エンジニアだったレンゾが作り上げたのは、いわゆるバブルカーと呼ばれる「イセッタ」。大ヒットしたこのクルマは、のちにBMWでライセンス生産されたことで有名になる。1960年代に入りスーパーカーの生産に着手、グリフォをはじめとする何種類かのモデルを世に送り出すが、フォーミュラワンに手を出したことで失敗し、メーカーは1975年に消滅した。ただし現在もリボルタグループは存在し、ヨットや別荘などのデザイン分野で活躍している。
レーレは総生産台数285台といわれる希少なモデルで、1969年にデビュー、1974年まで生産されたもので、同社にとっては最後まで生産されたモデルとなった。写真でもわかるように2+2のクーペボディを持つ。
と言っても当時としてはフル4シーターと呼べる広い後席空間を持っていた。デザインはベルトーネのチーフデザイナー、マルチェロ・ガンディーニの作品で、同じ時代の作品に共通したモチーフが見受けられる。とくにライバルでもあったランボルギーニ「ハラマ」は近似性が強い。ちなみにレーレという名はレンゾ・リボルタの息子で、レンゾの死後同社のかじ取りを任されたピエロの奥さんの名を採ったものだ。
3速ATであったということもあるのか、このクルマにスーパーカーの片鱗を見ることはできなかった。たしかに速いは速いのだが、ポルシェのようなシャープさもフェラーリのような官能的なエンジンサウンドもなく、まだ若かった僕には心に残るクルマではなかった。
しかし、今にして思えば非常に時代を先取りしたクルマであり、もっと味わっておけばよかったと後悔する。果たして現在このクルマがまだ日本にあるのかも不明であるが、10年ほど前に草むらに放置された赤いレーレの姿があった。パールホワイトは当時塗り替えが効かなかったから、赤に塗り替えたのかもしれない。もったいない話である。
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じつはイソ、2021年に復活し、その名も「イソ リボルタ GTZ」というモデルをリリースしている。デザインしたのはザガート。ベースとなっているのはC7型「コルベット」で、シャシーもエンジンもC7をそのまま流用しているから、言ってみれば着せ替え人形のようなものである。限定19台が作られたそうだがすでに完売しているようである。ちなみにGTZのZはザガートのZ。ボディはカーボンファイバー製でそのスタイルはまさに1960年代の「グリフォA3/C」を彷彿させるものである。自動車メーカーとして復活するのかはこちらもわからない。
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