大ヒットしたデミオの陰に隠れてしまい2002年に終売
古くからのクルマ好きにとってはマツダとフォード、両社の関係性を知らない人はいないだろう。過去にはフォード傘下に入っていたこともあるマツダは、フォードブランドから販売する車両の製造もしていたのである。
マツダブランドに兄弟車を持たない車種として誕生
そんないわゆる「日本フォード」の代表的な車種と言えば、やはり1986年に登場したコンパクトカー、フェスティバが挙げられる。
それまで日本フォードで販売されマツダ製の車両は何らかのベース車両が存在し、それをベースにフォード車に仕立てられていたのだが、フェスティバは日本フォード初のオリジナル車。つまりマツダブランドに兄弟車を持たない車種として誕生したのである。
そんな初代フェスティバはスマッシュヒットを記録し、韓国のキアでも生産がスタート。この韓国製のモデルは北米や台湾、オーストラリアといった海外にも販売され、日本にも5ドアハッチバックの「フェスティバ5」と、4ドアセダンの「フェスティバβ」が輸入されて販売されていた。
そんなフェスティバのプラットフォームは、のちに改良されて初代デミオにも使用された。マツダの危機を救う大ヒットとなったのは多くの人が知るところだが、そんな初代デミオが今度は日本フォードブランドに供給される形で生まれたのが、フェスティバの名前を冠する3代目モデル、「フェスティバミニワゴン」だ。
デミオに存在しないボディカラーを設定していた
デミオと同じ1996年8月に登場したフェスティバミニワゴンは、クーペスタイルとなって大不評となった2代目モデルの反省もあってか、再びスペース効率に優れるハッチバックスタイルに回帰。
といってもボディシェルはデミオのままとなっており、格子型のフロントグリルやバッヂ類が異なる程度の差別化となっていて、搭載されるエンジンもデミオと同じく1.3Lと1.5Lが用意されるのも共通だった。
ただ、デミオに存在しないボディカラーを設定していたほか、最上級グレードの1500SXにスポーツオプションを装着するとなぜかバンパーが無塗装樹脂になるといった、謎の差別化も図られていた。
そんなフェスティバミニワゴンだったが、デミオと比べると同等グレードで若干、価格が高かったこともあってか、大ヒットしたデミオの陰に隠れてしまい、デミオのフルモデルチェンジとマツダOEMモデルのフォード車の終了が重なり2002年をもって終売となった。今では中古車情報サイトでもなかなか見かけることのない希少車となっている。