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新車のマセラティ「ギブリ」を運転! V12至上主義者には、V8は格下に思えてました【クルマ昔噺】

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TEXT: 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)  PHOTO: 中村孝仁

ド新車のギブリはそれほど速いという印象はなかった……

当時、僕はすでにフェラーリが最新(当時は)だったデイトナや、ランボルギーニ ミウラなどに乗った経験があった。僕の会社にあったマセラティ ギブリは勿論ド新車。5速マニュアルを装備したモデルだったが、特にミウラなどと比べるとそれほど速いという印象はなかった。

フェラーリは全開にしていないので比較のしようがない。ただ、正直言ってほかの全開にした経験のあるフェラーリの何台かはそれほど速いとは思わなかった。とにかく速いと思ったのはポルシェカレラRSであり、ミウラであった。

ただ、その湧き上がるようなフェラーリのV12サウンドは若造の胸をぎゅっとつかんで離さなかったことだけは確かだ。いずれにしても、ド新車のマセラティ ギブリをドライブできたのだから、貴重な体験である。当時もっとクルマのことがわかっていれば、さらに大きな財産だったのだが……。

ギブリが誕生したのは1967年のこと。イタリアは不思議な国で、多くの自動車メーカーはレーシングカーを作る傍らで少量のロードカーを作るという慣習があり、アルファ ロメオしかり、フェラーリしかり、そしてマセラティも例外ではなく、量産モデルを作り始めたのは実に戦後のことなのである。だから搭載されるエンジンがレーシングカー由来となるのはごく当然で、ギブリのV8エンジンはレーシングカーの450S直系のエンジンである。

このエンジン、初めは5000GTと呼ばれるモデルに搭載され、その後、ギブリに搭載されることになった。純粋なV8を積むスポーツモデルとしては、ギブリはこの5000GTの後継車にあたる。このためドライサンプの潤滑方式を持ち、それゆえにエンジンフードを低めることができた。

ツインカムエンジンを搭載していたギブリ

ダウンドラフトのV12エンジンを積んだフェラーリ365GT2+2と比較すると、はるかにフードが低いことがわかる。また当時からすでにDOHCを採用しており、高回転まで回ることからそのサウンドも、俗にいうアメリカンV8とは大きく異なるものだった。余談ながら当時のフェラーリの主力エンジンはほぼSOHCで、DOHCは一部の限られたモデルだけだった。

マセラティ ギブリ

デザインしたのはジウジアーロである。ベルトーネを退職し、カロッツェリア・ギアに在職していた時代で、この時代のギアは毎年のようにオーナーが変わる不安定な時代。ジウジアーロもいにくかったのか、在籍したのは1966年から1968年までの2年間だけである。同じギア在職時代に彼はいすゞ117クーペをデザインしている。

残念ながら当時いくらで販売したかは覚えていない。このクルマ、こう見えても一応2+2というレイアウトを持ち、決して使える代物ではないが、リアシートが存在した。名古屋に持って行った時だったか、狭い思いをして3人乗車した記憶がある。

こちらも残念ながらリアの写真が残っていないが、多くのギブリがリアに4本のマフラーを出していたのに対し、僕の会社にやってきたモデルはマフラーエンドを大きく曲げて横に2本出ししていた。しかも排気管が非常に太かったのが印象的だった。

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  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 中村孝仁(NAKAMURA Takahito)
  • 幼いころからクルマに興味を持ち、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾る。 大学在学中からレースに携わり、ノバエンジニアリングの見習いメカニックとして働き、現在はレジェンドドライバーとなった桑島正美選手を担当。同時にスーパーカーブーム前夜の並行輸入業者でフェラーリ、ランボルギーニなどのスーパーカーに触れる。新車のディーノ246GTやフェラーリ365GTC4、あるいはマセラティ・ギブリなどの試乗体験は大きな財産。その後渡独。ジャーナリスト活動はドイツ在留時代の1977年に、フランクフルトモーターショーの取材をしたのが始まり。1978年帰国。当初よりフリーランスのモータージャーナリストとして活動し、すでに45年の活動歴を持つ。著書に三栄書房、カースタイリング編集室刊「世界の自動車博物館」シリーズがある。 現在AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)及び自動車技術会のメンバーとして、雑誌、ネットメディアなどで執筆する傍ら、東京モーターショーガイドツアーなどで、一般向けの講習活動に従事する。このほか、テレビ東京の番組「開運なんでも鑑定団」で自動車関連出品の鑑定士としても活躍中である。また、ジャーナリスト活動の経験を活かし、安全運転マナーの向上を促進するため、株式会社ショーファーデプトを設立。主として事業者や特にマナーを重視する運転者に対する講習も行っている。
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