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日産2代目「フェアレディZ」はただのキープコンセプトではなかった! 80年代的「新時代感」が満載だった「S130」を振り返ろう【カタログは語る】

1978年にフルモデルチェンジして2代目となったS130型日産フェアレディZ

大ヒットした初代S30型の後継として1978年に登場したS130型

タミヤの1/24スケール・スポーツカーシリーズNo.13の「DATSUN 280-ZX(フェアレディ280Z-T・2シーター)」を当時キットの発売と同時に筆者は入手。「朱に交われば赤くなる」などとまったく意味も用法も違う独り言を言いながら(笑)、赤にほんの少し朱色を混ぜパッケージの絵と同じREDにボディを塗装して作ったくらいだったから、S130型「フェアレディZ」には人並みに思い入れはあった。

9年ぶりのフルモデルチェンジで基本的にはキープコンセプト

1978年8月に登場した日産S130型2代目フェアレディZは、ある意味で大きな注目を集めたモデルだった。それはいうまでもなく、日本国内のみならず北米をはじめ海外でも人気を集めた初代S30型からの初のフルモデルチェンジだったからにほかならない。

S30型は1969年の登場からじつに9年にわたって多くのファンに愛された存在だった。そのフェアレディZのモデルチェンジとなれば、期待も不安も抱くのは当然のことだ。当時の筆者はまだ学生だったから、自動車雑誌に掲載された、カモフラージュされた試作車がテストコースを走るのを写した画像の荒いスクープ写真を友人と眺めては、ああだこうだと意見を交わした覚えがある。

はたして正式に登場してきたS130型は、基本的にはキープコンセプトだった。とくに外観は特徴的なヘッドランプまわりとロングノーズ&ショートデッキの独特なプロポーションは、ひと目見てZだとわかるものだった。言われていたように初代S30は北米で大ヒット作となったこともあり(対米輸出比率は8割を超えていたという)、現地の市場からは「イメージは変えてくれるな」の声が強く上がっていたという。さらに購入動機の1位にはスタイリングが挙げられていた。

となれば、新型Zがまったく違うクルマとなって登場してくることは、そもそもなかったのだった。

新時代を感じさせるゴージャスなGTカー的な雰囲気があった

だが、コンセプトやスタイリングは変わらずとも、この時代の新型車にはZに限らず、どのクルマにも眩しいくらいの「新時代感」があった。この頃はまだ筆者は新型車が出ればディーラーのショールームに駆けつけ、自分の目で検分してくるようにしていたが、S130型もショールームで実車を見て、ビニールがかけられた状態のシートに座り、あれこれとチェックをしたもの。

その結果、一見しただけではS30と変わらないと言われた外観はグッとグラマラスな印象で、ピラーの処理をはじめ各部ディテールからは80年代的な新しさが感じられた。インテリアの変容ぶりは外観スタイル以上で、S30型の黒一色のスパルタンな世界から、茶系の内装色まで用意される、ゴージャスなGTカー的な雰囲気が強く感じられた点がじつに新鮮だった。

2シーターと2by2のキャラの違いはより明確になった

実車はS30型と同様に2シーターと2by2のふたつのボディタイプを用意。S30型では両ボディのデザイン上の差は全長、ホイールベースの差とリアクオーターウインドウのわずかな形状の違い、それとリアから見た時のリアウインドウの縦横比の差(2by2は傾斜が立てられより縦長に見えた)など、比較的小さな差だった。

それに対してS130型では、2つのボディのデザインの違いがより明確で、2シーターのリアクオーターウインドウはモールがなくコンパクトだったが、2by2はサイドウインドウモールがリアクオーターウインドウ後端まで伸ばされ、リアクオーターウインドウも2+2のクーペらしく後席がシッカリと見える大きさのものが備えられていた。なおホイールベースはS30型に対して2シーターは+15mmの2320mm、2by2は-85mmの2520mmに設定されていた。

サスペンションはS30型の前後ストラット式の独立から、S130では前:ストラット式、後:セミトレーリング式に。一方で搭載エンジンはS30型が最終型では2LのL20E型(130ps/17.0kgm)の1機種だったのに対して、新たに日本国内仕様にも2.8Lの排気量を持つL28E型(145ps/23.0kgm)が設定された。この2.8Lは「セドリック」/「グロリア」、「ローレル」などにも搭載されたエンジンだった。いずれも当時の昭和53年排出ガス規制に適合、ガソリンタンク容量は80Lとし、S30型の65Lから容量が大きくなった。

Tバールーフやターボもラインナップ

そのほかのトピックとしては1980年11月のTバールーフの設定があった。これは左右分割式のハッチガラスを備えたもので、ノブとレバーの操作で簡単に取り外しが可能。また1981年のマイナーチェンジのタイミングでは、全車にSST(スペースセービングタイヤ)が電動ポンプとセットで標準となり、当初からラゲッジスペースを占領していたスペアタイヤがなくなっている。

それともう1台、モデル末期の1982年10月に、ようやくフェアレディZでは初めてのターボが登場した。日産のターボ車としてはセドリック/グロリア(1979年10月・430型)、「ブルーバード」(1980年3月・910型)、「スカイライン」(1980年4月・C210型)に次ぐ4番目のターボ車で、搭載するL20E・T型は145ps/21.0kgmを発揮。

またこのターボ車には日本車で初めて60プロファイルタイヤが設定され、カタログにも「60プロフィールのスーパーワイド・ポテンザRE86Mと新設計のアルミロードホイール」と紹介がある。タイヤサイズは215/60R15 90H、ホイールは6JJ×15の2ピースタイプだった。

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