当時のファンから熱い期待に応えたクルマだった
日本の名山ならぬ日本の名車の1台に数えられる日産「スカイライン」。1957年に初代「プリンス・スカイライン」が登場して以来、歴代のどのモデルも、モデルごとに新機軸と個性を打ち出しながら続いてきたのはご承知のとおりだ。
世代ごとに愛称が付けられていたスカイライン
そんな中で世代ごとに「愛称」が付けられていたのも、愛好家の多いスカイラインならでは。最初は1964年の第2回日本グランプリでポルシェ「904」との激闘を見せた2代目・S54A-1型で、その雄姿が「スカG神話」として語り継がれることになり、この「スカG」が最初の愛称となった(余談だが後年、コンピュータ関連の用語でSCSIを「スカジー」と読むのだと知った時に筆者は軽い衝撃を覚えたものだった)。
もちろん以降もスカイラインは愛称でも呼ばれるようになった。「ハコスカ(3代目・C10型)」、「ケンメリ(4代目・C110型)」などは有名なところだ。さらにもう1世代、「ジャパン」と呼ばれたのが1977年に登場した5代目スカイライン。カタログで「SKYLINE JAPAN」と自らうたって登場したことで、この愛称となったもの。
もし筆者の認識が不正確ならばご容赦いただきたいが、ジャパンを含め、のちの「ニューマン・スカイライン」(「鉄仮面」も)、「7th(セブンス)」など、歴代スカイラインの愛称は愛好家や中古車店の現場などで、車両型式以外の、通りのいい世代を区別する手段として自然発生的に用いられるようになったのがキッカケだったはずだ。
ちなみにハコスカ、ケンメリ、そしてジャパンの3世代についていうと、カタログの表紙に使われていた車名ロゴ(レタリング)が3世代とも(ほぼ)共通。この3世代には、時代のつながりが強く感じられたようにも思う。なお浅はかな着眼点ながら、サーフィンラインはこの3世代で踏襲、GT系(とハードトップ)の丸型テールランプはケンメリからジャパンに引き継がれて使われたデザインだった。