レース参戦を果たせなかった悲運の「GT-R」
レースシーンで49連勝という金字塔を打ち立てた日産C10型「スカイラインGT-R」。その心臓部であるS20型直6 DOHC 24バルブエンジンは、後継であるC110型GT-Rにも搭載されたが、わずか197台で生産を終了した。ところが、ケンメリことC110型は皮肉にも歴代でもっとも売れたスカイラインなのだ。
基準車発表から1カ月遅れてGT-Rコンセプトカーが登場
航空機メーカーを母体とするプリンス自動車が生み出したスカイラインがメジャーブランドとなり、多くの人に知られるのは、C10という型式を与えられた3代目のときである。日産ブランドを掲げての船出だったこともあり、関係者は不安を抱いた。だが、心配は杞憂に終わり「愛のスカイライン」のキャッチフレーズそのままに多くの人に愛され、信頼を勝ち取ったのである。
クルマのできがいいことはもちろんだが、それまでなかった大胆なコマーシャル戦略が当たった。また、途中で加わったハードトップも新しいファン層の獲得に貢献している。2000GT‒Bからバトンを受けてサーキットに放たれたGT‒Rが連勝街道を突っ走ったこともイメージアップに大きく貢献した。
だが、2代続けてヒットさせるのは容易ではない。商品企画の担当者も開発陣も、次期スカイラインの産みの苦しみに頭を悩ませた。C10型の売れ行きは好調だったので次期モデルの発表を先送りする案も出たが、当初の予定通り1972年9月にモデルチェンジを断行する。4代目C110型の誕生だ。
3代目は「愛のスカイライン」のキャッチフレーズが好評だったので、4代目でも同じ手法の広告戦略でファンに訴えることにした。いくつかの候補のなかから選んだのが「ケンとメリーのスカイライン」だ。この戦略は当たり、クルマに興味を持たなかった人たちまで取り込むことに成功した。
スカイライン史上初めて、4気筒エンジン搭載車とロングノーズの2000GTを同時に発表したのが、このC110型ケンとメリーのスカイラインだ。ボディタイプは4ドアセダンと2ドアハードトップに加え、キュートなリアビューのワゴンも用意している。直列6気筒エンジンを積む2000GTはホイールベースを95mm延長しロングノーズとした。
エクステリアは、流行のウェッジシェイプを強調したダイナミックなデザインだ。コークボトルラインで躍動感を表現し、キャラクターラインからリアフェンダーにかけてサーフィンラインを引いている。2ドアハードトップは、後方をJの字のように上に跳ね上げたウインドウグラフィックが特徴だ。2000GTとハードトップは、丸形のリアコンビネーションランプを装備した。
モデルチェンジ時に発表されたのはSOHCエンジン搭載車だけで、DOHC 4バルブエンジンを積むGT‒Rの姿はなかった。だが、1カ月後の10月に東京・晴海の国際貿易センターで開催された第19回東京モーターショーの会場に、2代目となるC110型GT‒Rが登場した。日産ブースに展示されたのは、濃紺のボディカラーにゴールドのピンストライプとゼッケン73を付けたGT‒Rコンセプトカーだ。
その3カ月後の1973年1月、ハードトップボディに身を包んだ2000GT‒Rが正式発表された。与えられた型式は「KPGC110」である。
2代目GT‒Rは、アメリカンマッスルカーを思わせる精悍なルックスだ。4輪にリベット留めのオーバーフェンダーを装着し、リアフェンダーのサーフィンラインは断ち切られている。タイヤは、バイアスタイヤに替えて175HR14のラジアルタイヤを履いた。全幅は小型車枠いっぱいの1695mmまで広げられ、トレッドも広い。
フロントマスクは2000GTと大きく異なる。レーシングカーのようなメッシュグリルを採用し、先代GT‒Rではオプション扱いだったネジ止めのリアスポイラーも標準で装備された。ブレーキはサーボ付きとなり、4輪ともディスクブレーキだ。
フロントグリルの左側とリアエンドには、GTとRの文字を2段に分けたGT‒Rエンブレムを装備している。このレイアウトは平成のGT‒Rにも継承された。もちろん、リアフェンダーのGTマークは、GT‒Bから続く栄光の赤バッジだ。