モテるためにはクルマが必要だった!
デートカー。今ではほぼ死語になっているクルマの呼び方だが、1980~1990年代、つまり、バブル期には間違いなくデートカーと呼ばれるクルマたちが存在した。そんな1980年代に人気となったデートカーをあらためて紹介したい。
こぞってデートカーになりうるクルマに乗っていた時代だった
当時の講談社『ホットドッグ・プレス』(筆者はそこでクルマ連載を持つ執筆者だった)でクルマデート企画は読者の大好評を受けつつ取り上げていたものだ。
そしてデートカーは、イコール「女の子にモテるクルマ」の代表格でもあり、ホットドッグ世代のモテたい若者が、アルマーニのウエアやシューズに身を固め(若者にはディフュージョンブランドのエンポリオ アルマーニが買いやすく、人気だった。若かりし筆者も青山の本店に通ったものだ)、こぞってデートカーになりうるクルマに乗っていた時代である(新車、中古車を問わず)。
スーパーホワイトが印象的だったトヨタ ソアラ
その1980年代の代表格、いや、国産デートカーとして口火を切ったのが、1981年に登場した初代トヨタ「ソアラ」(Z10型)だ。ハイソカーの元祖とも言われたソアラは、メルセデス・ベンツ「SL」やBMW「6シリーズ」といった、当時のドイツ車の高級パーソナルカーを目標に開発されたとされ、2ドアクーペスタイルでの登場だった。
インパネまわりのデジタルメーターを用いた先進感、ディスコのVIPラウンジのようなソファ的シート、そしてもちろん、2.8L直6エンジン搭載のGT系のパフォーマンスなど、クルマ好きのハートに突き刺さる商品力を持っていたのだ。
とくにトヨタが初採用したスーパーホワイトのボディカラーの美しさは、夜の六本木などでひときわ輝いていたことを懐かしく思い出す。車両価格もそれなりに高価で、お坊ちゃま御用達のハイソカー、当時としては究極の国産デートカーとして君臨した1台だったのだ。
その人気ぶりはデートカーとしてだけでなく、リッチな若者、羽振りのいい経営者などにも浸透。当時、「フェアレディZ」とともに、ソアラの中古車専門店まで大挙、出現していたことを覚えている。デートカーとしても確立されたソアラの名声は、1986年デビューの、初代のイメージを引き継ぐ2代目ソアラまで引き継がれることになる。
当時の夜遊び上手な女性の間では、「カレはスーパーホワイトのソアラに乗っているのよ」のフレーズがステイタスでもあったほどだった。あわせて、三栄書房の『OPTION』といったチューニング専門誌で、フェアレディZとともに花形的存在でもあったのだ。
レバーひとつで助手席を倒せたホンダ プレリュード
さすが、バブル期だけに、1980年代にはクルマ好きな若者を熱狂させる2ドアクーペが続々登場した。1981年の初代ソアラに続いて、これまたデートカーの大本命となったのが、1982年に「FFスーパーボルテージ」をキャッチコピーにしてデビューした2代目ホンダ「プレリュード」だった。
ボディサイズは全長4295mm×全幅1690mm×全高1295mmと、当時の国産クーペとしてはワイド&ローなシルエットは、狙いなのかはともかく、女性にウケた。
ソアラより買いやすい価格もあって、若者のデートカーとしての位置を一夜にして手に入れたのだった。そのプレリュードが真正デートカーと呼ばれた大きな理由は、運転席から助手席をワンタッチでバーンと倒せる機能が付いていたこと。
筆者もその真偽を確かめるべく、夜の晴海ふ頭で3度目のデートの女子を助手席に乗せ、夜景を見ながらバーンと倒したものだ。もちろん、そのあとは、いいカンジになりましたとも。
スキーブームで話題になったトヨタ セリカGT-FOUR
そうしたデートカー=2ドアクーペという概念を、スキーという当時大流行の男と女の白銀の社交場で花開かせたのが、1985年デビューの4代目トヨタ「セリカ」のフルタイム4WD版、「GT-FOUR」だった。セリカシリーズの中でも4WDであり、かなりスポーティなキャラクターなのだが、それをスキー好きの若者のデートカーとして広く認知させたのが、言うまでもない、ユーミンが主題歌「恋人はサンタクロース」を唄ったホイチョイプロダクションの名映画、1987年劇場公開の『私をスキーに連れてって』である。
主役は原田知世。そして映画内で色違いのセリカGT-FOURに乗るのが原田貴和子と高橋ひとみ。高橋ひとみがGT-FOURのドアを開け、路面を確認し、「凍ってるね」とつぶやくフレーズ、名シーンは、セリカGT-FOURの雪道での走破性の高さを表現するものだが、それをまねたGT-FOUR乗りの若者も多かったに違いない。
スキー、ゲレンデデートの定番車、あるいはゲレンデナンパの切り札として「セリカGT-FOURで帰り、送っていこうか」の神フレーズが使える1台だったのだ。
スタイリッシュなデザインに憧れた日産シルビア
バブル絶頂の1988年には、当時の比較的買いやすく、そして走りもいい日産「シルビア」の5代目、つまり最善のシルビアが登場している。ライバルはホンダ プレリュードだが、プレリュードのFFに対してこちらはFR。走り好きの若者を熱狂させた1台として、今でも語り継がれるほどの名車である。
しかも、2ドアクーペのスタイリングは、プレリュードより遥かにスタイリッシュで洗練されたもので、運転席から助手席は倒せないものの、女性の人気も沸騰。シルビアの助手席に乗ることに憧れる女性が続出だったのである。
「六本木のカローラ」と呼ばれたBMW 3シリーズ
一方、都会限定、輸入車にも、バブル期を象徴するデートカーが存在した。その筆頭が、筆者もうっかり買ってしまったE30型、2代目BMW「3シリーズ」である。
「六本木のカローラ」とも揶揄されたものだが、その中身は国産車とは別物の走りの質の高さがあり、小金持ちの間で大流行。六本木の風物詩的に、BMW 3シリーズが夜の六本木に大挙押し寄せていた(筆者325もその1台!?)。
BMWよりも人気だったメルセデス・ベンツ190E
メルセデス・ベンツ「190E」も当時の人気小型ドイツ車だったが、女性好みのステイタスもあるデートカーとしてはBMWのほうが人気が高かったと記憶している(3シリーズと190の比較において)。
女子大生に人気だったVWゴルフ カブリオ
番外編としては、初代VW「ゴルフ」にあった「カブリオ」(のホワイトボディ)も1980年代に生き延びていて、当時の女子大生に人気だった、お嬢ちゃん、お坊ちゃん御用達(に見られる)のオープンモデルだった。
筆者のガールフレンド(なんと表参道在住)も乗っていたのだが、デートカーといっても、女性が運転し、男が助手席に乗っているフォメーションもなかなかの、クルマ選びのセンスの良さが際立つ、クラシックなデートカーと言える1台であった。
さて、今回の1980年代のデートカーのお話はここまで。次回はバブルが終焉した1990年代(正確にはバブルが崩壊した1991年5月以降)を代表する、俺たちのデートカーを振り返ってみたい(1989年デビューの新型車を含む)。