1923年にイギリスで生まれた名車オースティン セブン
1923年から生産が開始された「オースティン セブン」は2023年で生誕100周年。イギリスで小型大衆車の普及に貢献しただけでなく、モータースポーツを身近な存在としたクルマでもある。5月に袖ヶ浦フォレストレースウェイで開催された「サイドウェイ・トロフィー」には7台ものオースティン セブンが参加。その中から、アルミボディにボートテールのマシンで参加したオーナーに話を聞いてみた。
オースティンA35乗りが念願のご先祖車をゲット
オースティン セブンは1923年の発売当初から、最小型のオースティン車ということから「ベビー・オースティン」のキャッチフレーズで販売されていた。ちなみに第二次世界大戦後の1956年に登場した「オースティンA35」というモデルもベビー・オースティンと呼ばれていて、仙石祐嗣さんはもともと、そのオースティンA35で長く旧車生活を楽しんでいた。
「先祖返りって言うんですかね? 最初にベビー・オースティンと呼ばれた戦前のオースティン・セブンには、いつか乗りたいと、ずっと憧れを持っていました」
そんなある日、友人の友人がオースティン セブンを手放してもいいという話があり、すぐさま、自宅のある岡崎から小田原まで実車を見に行ったのだった。
「もう、ひと目惚れでしたね! ようやく憧れていた世界の仲間入りができるという喜びもあって、紹介してくれた友人と小田原の居酒屋に入って、ビールで乾杯しましたよ」
ボートテールでアルミボディのアルスターモデル
仙石さんの1937年式オースティン セブンは、レーシーな雰囲気が漂うピカピカに磨き上げられたアルミ地肌のボディ。数多くあるオースティン セブン スペシャルでも人気の高い「アルスター」モデルだ。
かつて、このボディを採用したオースティンのワークスチームは競争力に優れ、さまざまなレースで活躍を見せる。中でもアルスターTTレースでの1929年と1930年の連続勝利により、翌年より正式にオースティン セブン アルスターと呼ばれるようになる。
その高い人気ゆえ、後年、アフターマーケットではFRPやアルミのボディキットが売り出され、特徴的なボートテールを再現している。
そのように、いくつかのアルスター・ボディがあるなか、仙石さんの愛車はアルミ製のボディを使ったモデルである。購入時は、部分的にグリーンでペイントされており、一部にアルミ地肌が残っているという状態であった。
「せっかくのアルミボディなので、夜な夜なグリーンのペイントが残った部分を剥離したんです。アルミ地肌の手入れは、定期的に磨いてあげないと曇ってしまうので、そこそこ手がかかるのですが、ソリッドな雰囲気でかっこいいでしょ?」
と、自分好みのスタイルにご満悦のようだ。
数々のトラブルを乗り越えて長距離ドライブを楽しんでいる
念願のオースティン セブン アルスターモデルを入手後は、家の近所をドライブしたり、長距離を走破するクラシックカーラリーへの参加、あるいはサーキットコース走行など、多彩なシーンで走らせて楽しんでいるという。そうした積極性が災い(?)して、トラブルもひと通り経験してきた。
「片道300km走るヒストリックカーラリーの最中、ドライブシャフトのラバー製のカップリングが切れてしまい、岐阜の山中で困り果てたことがあります」
「一昨年、減速中に回転が跳ね上がってしまい、エンジンを壊してしまったのですが、常用は2000回転、上限は2500回転くらいにしないと、2軸支持のクランクシャフトですので、暴れちゃうんですよね。エンブレの時はドキドキしてます」
そうしたこともありながら、現在は腕前の確かなメカニックのサポートもあり、おそらく、日本で一番、オースティン セブンの年間走行距離を伸ばしているオーナーだろう。
仲間に呼びかけ6台のオースティン セブンが集結
今年、2023年はオースティン セブンの生誕100年というアニバーサリーイヤーである。そんなタイミングで、5月28日に開催されるヒストリックカーの祭典「Festival of Sideway Trophy」(サイドウェイトロフィー)では、世界最古の常設サーキットであるイギリス「ブルックランズ」の名前を冠した走行枠「ブルックランズ・ラン」が久々に行われるということを耳にした。
「セブン誕生100周年の年に、戦前車クラスができたなんて凄いじゃないですか、この機会は逃せないと、知ってるオーナーさんに声をかけまくりました」
その結果、6台のオースティン セブンが参加。集まった観客たちは、製造から1世紀近く経ったオースティン・セブンたちの走行にエールを送る。
「日本にも元気に走っているオースティン セブンがいることを世界中にいる同好の仲間に、SNSを通じて少しはアピールできたら嬉しいですね」
と仙石さんは笑顔を見せた。