重くシビアなクラッチミート位置で発進に苦労
しかしながら、実際に乗ってみるとこの3羽カラスの中で一番乗りにくいクルマであったし、性能的にはマイルドなクルマであったことも事実。乗りにくくしていた原因は、ひとつにはスピカ(Società Pompe Iniezione Cassani & Affini)製の燃料噴射のナーバスな点と、同じくナーバスでまるでレーシングカーのようにほとんど半クラッチを受け付けないクラッチに起因する。
始動はこのスピカ製の燃料噴射の独特なヒューンという音から始まり、数秒のクランキング後、フロントのV8がゴーっという音を立ててかかる。さすがにV8で、そのエンジンサウンドはかなり豪快である。そしてクラッチは、はっきり言ってかなり重い。
しかし、当時のフェラーリにしてもランボルギーニにしても、その重さは半端じゃなかったから、モントリオールの重さはましな方だった。ただストロークが無い。そしてミートの位置はほんの一瞬。床下まで踏みつけたクラッチをゆっくりと戻すと、ほんの一瞬エンジン回転が下がるところがあって、そこを狙ってクラッチはそのままに、そしてアクセルを少しだけ煽って発進する。
クラッチのリリースが少しでも早いとすぐにエンストする。はたして何度エンストしたことか。そしてその都度、隣に乗っていたメカニックから「下手くそ!」という罵声が飛んだのを今でも思い出す。だから、信号は嫌だった。とくにそれが上り坂だったりすると恐怖。当然サイドブレーキをかけて発進することになる。
何故このクルマの発進が苦手だったかというと、当時のフェラーリがとくに、シングルプレートでひ弱なクラッチを持っていたため、俗に言うレーシングスタートは厳禁。おもむろにクラッチを離し、クルマが動き出した後にアクセルを吹かすのを常としていたのだが、モントリオールの場合はクラッチを離しただけではエンストしてしまうためにどうしてもアクセルを入れてやる必要があったからだ。つまりフェラーリのつもりで発進することを会社側に要求されていたからだと言ってよい。
走ってみても俊敏で非常にピックアップの良かったポルシェにはとても及ばず、軽快で長い加速感を持ったディーノにもフィーリングでは勝てなかった。調べてみると3925台作っており、ディーノの総生産台数を少し超える数が生産されているのだが、日本ではやはり目立つクルマではなかったようだ。デザインはガンディーニ。でもまだジウジアーロの影響を受けている印象が強く、ボディサイドの縦に並んだエアスリットは「カングーロ」から受け継いだものだった。
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