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「ディーノ246GT」とポルシェ「カレラRS」と合わせて3羽カラス! アルファ ロメオ「モントリオール」の発進はフェラーリよりも難しかった!【クルマ昔噺】

1970年に登場したアルファ ロメオ モントリオール

スーパーカーの3羽カラスの1台だった

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第6回目は「社用車で用意されたアルファ ロメオ モントリオール」との出会いを振り返ってもらいました。

ロードカーとしては尖がったスペックのエンジン

「おい、今日から当分の間これを社用車にするから、気を付けて運転してな」という部長のお言葉で、社用車となったのは、なんとアルファ ロメオ「モントリオール」であった。したがってこのクルマは数カ月の間、従業員が足として乗り回した。僕もその恩恵にあずかって、何度もこのモントリオールというクルマに乗った。当時、このモントリオールは、コンパクトな(と言えるかどうかは別だが)スーパーカーの3羽カラスの1台として認知されていたと思う。

その3羽カラスとは、このモントリオールに、「ディーノ246GT」とポルシェ「カレラRS」を加えたもの。当然異論はあるだろう。しかし、価格帯においてはほぼ同じで、どれも当時は400万円〜500万円の間で販売したクルマだ。のちに正規ディーラーだった伊藤忠が輸入したときは700万円以上の正札をつけていた。しかし、こちらはもちろん中古。といってもモントリオールの場合は新古車と呼べ、走行がまだ3ケタのオーダーのものだった。

モントリオールをあまりよく知らない読者のために少しだけ解説すると、モントリオールはもともと、1967年にカナダで開催されたモントリオール万国博に出展されたベルトーネのコンセプトモデルとして登場したもので、この時は「ジュリア」ベースのシャシーに1.6L直4を積んでいた。その後1970年に市販化されたときは、2.6LのV8エンジンを搭載したモデルに生まれ変わっていた。ただしシャシーは当時のアルファ「GTV」用をベースにしていたからシャシーナンバーは105で始まる。

この2.6Lのエンジンは、当時レースに参戦していた「ティーポ33」用の2L V8を基本に、そのサイズを拡大したもの。したがってドライサンプに燃料噴射という当時のロードカーとしては相当に尖がったスペックのエンジンであった。もっとも性能的にはそれほど大したものではなく(あくまでも今ではだが)、最高出力は197hpと言われていた。とはいえその机上の出力ではディーノを上まわり、カレラRSに肉薄していたのだから、決してひ弱なクルマではなかったのである。

重くシビアなクラッチミート位置で発進に苦労

しかしながら、実際に乗ってみるとこの3羽カラスの中で一番乗りにくいクルマであったし、性能的にはマイルドなクルマであったことも事実。乗りにくくしていた原因は、ひとつにはスピカ(Società Pompe Iniezione Cassani & Affini)製の燃料噴射のナーバスな点と、同じくナーバスでまるでレーシングカーのようにほとんど半クラッチを受け付けないクラッチに起因する。

始動はこのスピカ製の燃料噴射の独特なヒューンという音から始まり、数秒のクランキング後、フロントのV8がゴーっという音を立ててかかる。さすがにV8で、そのエンジンサウンドはかなり豪快である。そしてクラッチは、はっきり言ってかなり重い。

しかし、当時のフェラーリにしてもランボルギーニにしても、その重さは半端じゃなかったから、モントリオールの重さはましな方だった。ただストロークが無い。そしてミートの位置はほんの一瞬。床下まで踏みつけたクラッチをゆっくりと戻すと、ほんの一瞬エンジン回転が下がるところがあって、そこを狙ってクラッチはそのままに、そしてアクセルを少しだけ煽って発進する。

クラッチのリリースが少しでも早いとすぐにエンストする。はたして何度エンストしたことか。そしてその都度、隣に乗っていたメカニックから「下手くそ!」という罵声が飛んだのを今でも思い出す。だから、信号は嫌だった。とくにそれが上り坂だったりすると恐怖。当然サイドブレーキをかけて発進することになる。

何故このクルマの発進が苦手だったかというと、当時のフェラーリがとくに、シングルプレートでひ弱なクラッチを持っていたため、俗に言うレーシングスタートは厳禁。おもむろにクラッチを離し、クルマが動き出した後にアクセルを吹かすのを常としていたのだが、モントリオールの場合はクラッチを離しただけではエンストしてしまうためにどうしてもアクセルを入れてやる必要があったからだ。つまりフェラーリのつもりで発進することを会社側に要求されていたからだと言ってよい。

走ってみても俊敏で非常にピックアップの良かったポルシェにはとても及ばず、軽快で長い加速感を持ったディーノにもフィーリングでは勝てなかった。調べてみると3925台作っており、ディーノの総生産台数を少し超える数が生産されているのだが、日本ではやはり目立つクルマではなかったようだ。デザインはガンディーニ。でもまだジウジアーロの影響を受けている印象が強く、ボディサイドの縦に並んだエアスリットは「カングーロ」から受け継いだものだった。

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