歴史的には重要だけど治安が悪い、ルート66の危険地帯
広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。今回は、ルート66を全走破したい人でも避けて通るべき危険エリアの実情をお伝えします。
「絶対イースト・セントルイスには入るな」
アメリカの旅がライフワークだと話したとき、大半の人が「危なくないの?」と質問してくる。ぶっちゃけ私も昔はいいイメージを持っていなかったけど、実際に自分で旅をしてみると想像していたほどじゃなく、幸運なだけかもしれないが怖い目に遭ったことはない。もちろん「日本とは違う」という意識を欠かさず、好奇心に任せて無鉄砲な行動をしないことは必須だが。
ルート66の沿線でもっとも治安がよくない場所、といえばイリノイ州イースト・セントルイスだろう。ミシシッピ川のほとりで対岸はミズーリ州セントルイス、最盛期には人口が8万人を超えたこともあったらしい。ルート66もイースト・セントルイスの発展に大きく貢献し、陸上交通と水上交通の要として1950年ごろまでは大いに繁栄した。
しかし以降は衰退の一途をたどり犯罪が急増、住人や企業が次々と脱出したことで税収が低下し、警察の活動すら滞って治安は悪化するいっぽう。今や人口は1万8000人まで減りその1/3が貧困層。
この街にもマザー・ロードが通っており荒廃してはいるものの古い街並みは絵になるのだが、ルート66を走った先輩たちが口を揃えて「絶対イースト・セントルイスには入るな」と言う。シカゴから西へ走るときは手前でインターステート(州間高速道路)に乗れば回避できるが、気を付けたいのはサンタモニカから東を目指して走るルートのときだ。
川向こうのミズーリ州セントルイスは一方通行が多いうえ大都市だけに交通量もそれなりで、流れに乗っているといつの間にかミシシッピ川を渡りイースト・セントルイスに入ってしまう。
私も注意していたにもかかわらずまんまと罠にハマり、心ならずもイースト・セントルイスを走った経験がある。最近の動画共有サイトでは薬物中毒者であふれ返った、フィラデルフィアのケンジントン・ストリートが有名だが、イースト・セントルイスは違った意味で不気味というか怖い。普通の人が住んでいる地域もあるにはあるんだろうけど、私が通ったエリアはどこも見るからにヤバそうな空気で、建物の前にたむろっているのはいかにもギャングっぽい風貌。
クルマを停めて地図をチェックしたり写真を撮るのもはばかられ、セントルイスのランドマークであるゲートウェイ・アーチを目印に、信号で止まらないことを願いつつなるべく大きな道を使い逃げ帰った。いつかイースト・セントルイスの治安が回復し、安全に走れる日が訪れることを期待するばかり。
映画『ニューヨーク1997』の舞台となった橋は昼間ならOK
イリノイ州とミズーリ州の境には、もうひとつ危険といわれるポイントがある。セントルイスの中心部から少し北のミシシッピ川に架かる、1929年に建造されたチェイン・オブ・ロックス・ブリッジだ。現在は歩行者と自転車しか通行できなくなっているが、かつてはこの橋がルート66として使用されていた。1630mのコンクリート橋で途中から22度に曲がっているのが特徴で、これは途中の岩盤が不安定なため角度を付けざるを得なかったとか。
1970年に閉鎖され一時は取り壊しが検討されたものの、2006年にはアメリカの国家歴史登録財に指定されている。休日の昼間は川べりでピクニックを楽しむファミリーや、ジョギングやサイクリングで橋を渡る人が集まっており、危険な雰囲気などまったく感じさせないのどかな場所だ。
ただし夕方になればヤバい雰囲気へと一変。私は先達のみなさんに注意されていたので明るい時間帯しか訪れていないが、車上荒らしを目撃したとかクルマを囲まれそうになり慌てて逃げたとか、とにかくロクな話を聞かないので夕方や夜は近寄らないのが無難だろう。
余談だがこの橋はカート・ラッセル主演の映画『ニューヨーク1997』(ジョン・カーペンター監督)で、69thストリート・ブリッジとして使用されている。全島をコンクリートで囲み刑務所と化したマンハッタンで、囚人たちに囚われた大統領を救出するため送り込まれたのが、元特殊部隊員にして終身刑に処せられたスネーク・プリスキン。チェイン・オブ・ロックス・ブリッジでは最後の脱出シーンが撮影され、公開は1981年とだいぶ昔ではあるが現在と同じ橋の姿が確認できる。興味がある人はぜひともDVDなどで観て欲しい。
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