BMWが生み出したウェッジシェイプのミッドシップ・スーパーカー
1970年代中ごろ、子どもたちの周りにあるさまざまなモノがクルマ関連グッズと化した空前絶後の「スーパーカーブーム」。当時の子どもたちを熱狂させた名車の数々を回顧するとともに、今もし買うならいくらなのか? 最近のオークション相場をチェック。今回はスーパーカーブーム終盤にBMWがデビューさせたスーパーカー、「M1」です。
BMWとランボルギーニの「共同開発」でドリームチーム結成
スーパーカーブーム全盛時に子どもたちが注目したBMWといえば「2002ターボ」だが、ブームが終焉を迎えつつあった1978年に、キッズにも理解しやすい真打ちが遅ればせながら登場した。ボディのスタイリングをジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインが手がけたBMW M1が発表されたのだ。
2002ターボとは異なり、M1はウェッジシェイプでリトラクタブルヘッドライトを採用したミッドシップ・スーパーカーだったので、それだけでも「おぉ~、スゲェ~」と思ったものだが、ポケットサイズの自動車大百科のM1紹介文において「BMWとランボルギーニの共同開発車」という活字が躍っていたので、子どもたちの体温は今夏の最高気温を上まわるぐらいまで一気に上昇してしまった。
BMWの社内にミッドシップ車に関するノウハウが無かったため、開発とシャシーの製造をランボルギーニに委託。数多くのスーパーカーを開発した名エンジニアのジャンパオロ・ダラーラがシャシーの設計を担当するという、まさにドリームチームがM1を生み出したことにより、「共同開発車」といった説明になっていたわけである。
実際には、ランボルギーニがノンビリしすぎていてシャシーが全然生産されず、BMWがランボルギーニの買収まで検討したが結局あきらめて提携を解消。ドイツのシュトゥットガルトにあるコーチビルダーのバウア社に委託先を変更し、ここで造られたシャシーをイタルデザインの拠点があるイタリアに送り、外板の取り付けや塗装を実施していた。
さらにスゴイことにドイツのBMWモータースポーツ社が塗装済みボディに足まわり等の組み付けを行うという超・複雑な生産工程を経てM1が完成していたらしいが、ブーム全盛時に子どもたちに与えられていた情報は「共同開発車」どまりであった。真実を知っていたら、「えぇ~、そうなの? バウアって何?」といった感じで少しガッカリしていたと思うが、M1の誕生物語は幸か不幸かファンタジーのまま終わったのであった。