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BMW「M1」は1億円オーバーでも納得! ランボルギーニとの夢のコラボでスーパーカーブーム終盤を盛り上げました【スーパーカー列伝22】

BMW「M1」は1億円オーバーでも納得! ランボルギーニとの夢のコラボでスーパーカーブーム終盤を盛り上げました【スーパーカー列伝22】

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TEXT: 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)  PHOTO: Courtesy of RM Sotheby's

F1GPと一緒に世界を転戦したM1プロカーレース

もともとM1は国際自動車連盟が定めたグループ4/グループ5規定を満たし、モータースポーツで活躍するために開発されたが、生産効率があまりにも悪く、当時のグループ4参戦条項(連続する12カ月間に400台以上を生産)を満たせないことが危惧された。そこでBMWはワンメイクレースの「BMW M1プロカーレース」を創設。F1グランプリと一緒に世界を転戦したこのシリーズでは、著名なレーシングカードライバーが己の名声のために激しいバトルを繰り広げた。

トップクラスのF1ドライバーも参戦していたプロカーレースが開催され、アメリカ人芸術家のアンディ・ウォーホルがペイントした「アートカー」の存在がM1のハイライトだったが、いずれも企画が実現したのは1979年のことだった。スーパーカーブームは1979年に入ってから完全に失速してしまったので、子どもたちが小学校で「ニキ・ラウダが勝ったね!」などとを話したりする機会は訪れなかった。

ヨッヘン・ニアパッシュが第1オーナーの個体は1億1500万円

M1の総生産台数は477台で、1980年の年末に400台目がラインオフ。連続する12カ月間に400台以上を生産するというグループ4カテゴリーの条件を満たせなかったが、特例で1981年以降の同カテゴリーへの参戦を認められた。しかし、1982年からグループ4ではなくグループBでの世界ラリー選手権とグループCでの耐久レースが実施されることになり、M1でのモータースポーツ活動はBMWの目論見どおりには物事が進まず、残念ながら短命で終わってしまった。

不運のスーパーカーだといえるBMW M1だが、精緻かつ、どの回転数でも味わい深いエンジンフィールを楽しめるM88型ユニットがもたらす走りの良さからプロダクションカーはいまでも注目度が高い。2022年11月にドイツでRMサザビーズが開催した「MUNICH」オークションでは、1980年式BMW M1が79万2500ユーロ(当時レートで邦貨換算約1億1500万円)で落札された。

BMW M1プロジェクトの責任者であるヨッヘン・ニアパッシュに新車で納車された個体で、2013年にヴィラ・デステで開催されたトロフェオASIで戦後最高の保存状態のクルマに贈られる賞を受賞している有名な個体ゆえ、1億円オーバーの落札価格になっても納得というところなのだ。

■「スーパーカー列伝」連載記事一覧はこちら

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  • 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)
  • 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)
  • 本業はフリーランスのライター兼エディター。1998年に買ったアルファ ロメオGT1600ジュニア(通称:水色号)を現在も愛用しており、すでに総走行距離が30万8000kmオーバーとなっている(2022年4月中旬現在)。クラシックカーラリーに水色号で参戦取材することがライフワーク(?)となっており、群馬をホームタウンとして開催されている「スプレンドーレ」では、柴犬を“ワン・コドライバー”、秋田犬を総監督として挑んでいる。全国各地に水色号でお邪魔しているので、これからも走行距離が順調に伸びる予定。
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