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「チンクエチェント博物館」が日本にフィアット500を上陸させはじめた理由とは【週刊チンクエチェントVol.12】

今にも土に還ってしまいそうなチンクエチェントを直して、買い手を見つける。伊藤さんは、「日本で保護犬や保護猫の里親探し」という視点で活動を続けている

1台でも多くのチンクエチェントを残したい

名古屋の「チンクエチェント博物館」が所有するターコイズブルーのフィアット「500L」(1970年式)を、自動車ライターの嶋田智之氏が日々のアシとして長期レポートする「週刊チンクエチェント」。第12 回は「チンクエチェント博物館の活動」をお届けします。

バンパーが装着されるだけでワクワクする

名古屋で仕事があって早めに終わったので、いきなりチンクエチェント博物館に寄らせてもらうことにした。2021年3月の半ば過ぎあたり。およそ1カ月ぶりくらいのターコイズブルーのチンクエチェントとの再会だ。僕のその頃の日程がまだらにみっちりつまってたし、ちゃんとしたお客さんのクルマの作業を優先してもらうべきだと思ってもいたので、ターコイズブルーの納車は4月前半に設定していただいていた。それまでは見ることも触れることもできないと思ってたのだけど、近くにいるのならやっぱり会いに行きたいでしょ。うまい具合に時間があいたのはラッキーだった。

ターコイズブルーは博物館の片隅に、2月に名古屋港から引き取ってきたときと同じようにたたずんでいた。……あれ? 同じじゃないな。イタリアから日本に向けて船積みされるときには、コンテナに収める都合で前後のバンパーを取りつけないまま。まるで勇ましいけど少しも迫力のない……レーシングカーみたいな姿で上陸してくるのだけど、バンパーがついてるじゃん! だったのだ。深津浩之館長がみずから作業をしてくださったようだ。

「嶋田さんが来るっていうから、さっき、とりあえずつけてみました(笑)。じつはイタリアでの船積みのときにオーバーライダーの部分を載せ忘れちゃったみたいで、今はこれだけなんですけどね」

「イタリアあるある、な感じですね(笑)。ゆるさが魅力っていう面もある国だから、僕なんかは“しょーがないか”なんて思っちゃいますけどね。まぁでも前にも言ったようにちっとも急いでないので」

「はい。もちろん納車には間に合うし、急ぐってことになっても対応はできますから、そのときには言ってくださいね」

「いや、まったく問題ナシですよ。それにしても、これがついただけで雰囲気がぜんぜん違って見えますよね。これにナンバーがついて街を走るんだな、っていうふうに想像が広がっていく感じで」

そうなのだ。この「500L」というタイプのみ、ほかのタイプと同じ基本的なバンパーに加えて鉄パイプのオーバーライダーが備わるのが標準。なんとも華奢なオーバーライダーでどれくらい効果があるのかまったくわからないのだけど、僕はその「L」の雰囲気が以前から好きだった。だが、オーバーライダーがついてない状態でもキョトンとした表情がやたらと微笑ましく感じられるし、バンパーに日本のナンバープレートを取り付けるステーがあることで、もうじき街を走れるのだな、という実感が濃くなってきて、なんだか嬉しくなった。「ゆるいよなー」の向こう側に何があるかなんて想像することもなしに。

ともあれ、とくに目的があって訪ねたわけでもなかったので、その後は僕たちもゆるーく雑談してたのだけど、ふと博物館がなぜこういうことを始めたのかをちゃんと訊ねてないことに気づいて、伊藤精朗代表にうかがってみた。

「チンクエチェントを保護・保存するのが僕たちの役目」

「今まで20年間ずっと私設博物館としてやってきて、クルマの販売って考えたことなかったんですよ。その前に別のクルマの事業もやってきてて、博物館っていうのはお金の匂いがしたらダメだなって、始めるときから思ってたから」

なのに、いきなり思い立ったようにイタリアで状態がいい個体からボロボロの個体までたくさん買いつけて、現地で仕上げて日本に入れるっていう面倒なことをするようになったのは、なぜなんですか?

「ぶっちゃけ、コロナ禍です(笑)」

えええ!? コロナ禍?

「そう。銀行が雇用を確保しないといけない、企業を潰したらいけないっていうことでいろいろやったわけですけど、あるときそんなに懇意にしてたわけでもない銀行の若い営業マンが来て、借りろって(笑)。借りたら返さなきゃならないからイヤだって言ったんですけど、返済はしばらく据え置きだし金利もすごく安いし使わなければ戻せばいいじゃないですか、みたいに言うんで。銀行も変わったな、ということはコロナは皆によっぽど打撃を与えてるんだな、と思って。で、あんまり借りたくなかったし使い道もなかったけど、そんなにデメリットはなかったから〇〇万円借りたんですよ」

えええ!? そんなに?

「そう(笑)。でもちょうどそんな頃に“古いチンクエチェントが欲しいんだけどなかなかいいクルマがない”っていう声をいくつか聞いて、そういえば、って思い出したんです。チンクエチェントを展示していろんな人に見てもらうだけじゃなくて、保護・保存するのが僕たちの役目でもあるな、って。

でも、さっき言っていたような気持ちがあったから、普通に輸入して普通に売るクルマ屋さんみたいなことをするのには抵抗があった。変な言い方だけど、向こうでボロを買うっていうのは楽しいし、直してやるのも楽しい。そのままだと朽ち果ててイタリアの土に還っちゃうようなチンクエチェントをちゃんと直して、日本で保護犬や保護猫の里親探しをするみたいな視点だったら自分自身を許せるかな、と思ったんです。ちゃんと直っていれば価値を取り戻せるし、普通の中古車と違って相場もまず下がることはないし、良いかたちで乗り継がれていって良いかたちでの保護・保存にもつながるわけだし。

深津君にはそんなボロ買うなって叱られるけど。まぁそんな感じです。だから質問に対する答えは、コロナ禍のおかげでたまたまお金ができたから(笑)」

いやいや。伊藤さん御自身があんまりカッコいいようなことを言うのが好きじゃない性格なのは長年おつきあいさせていただいてきて理解してるのだけど、なるほど、わかった。イタリアには長年のネットワークがあるから、これまで知人に頼まれてクルマの輸入の手伝いとかをしたことはあっても、自動車販売業のような展開をまったくしてこなかった理由、そして思い立ったように現地のチンクエチェントを買い集め、直し、日本に上陸させることをはじめた理由。どちらもすんなり納得できて、ワケもなくすっきりした気分だった。

「でも、いざ始めてみたらイタリアと仕事をするのは本当に大変で……」という苦労譚こそが御本人たちはともかく最も楽しかったところなのだけど、そのあたりは博物館を訪ねて伊藤さんや深津さんに訊ねたら、聞かせていただくことができると思う。

ちなみにチンクエチェント博物館はSNSや公式サイトで販売できるクルマの情報やそれぞれのクルマの作業の進行状況などを公開してるので、ぜひともそちらを見にいってみてほしい。いや、それがまた見てるだけで結構おもしろいのだ。

じつはつい最近もチンクエチェント博物館に寄らせてもらったときに、伊藤さんが「これを見て、おーっ! とまた思ったんですよ。僕がやりたかったのはこれだったんだ、これをやらなきゃ博物館じゃないよなって」という言葉とともに、何枚かの写真を見せてくださった。それが今回のメインカットの、ほぼ朽ち果てる寸前みたいなチンクエチェントだ。

僕が絶句して椅子から転がり落ちそうになったのは言うまでもない。

■協力:チンクエチェント博物館

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