半世紀ぶりに参戦するル・マン24時間レース
2023年で100周年を迎えた・マン24時間レース。半世紀ぶりに参戦するフェラーリの応援ツアーに参加しました。マラネッロからル・マンまでをフェラーリの最新モデルで走るこのツアーで感じたこととは?
「モータースポーツとは何か」を投げかけた100周年のル・マン
ル・マンの100周年。節目に開催された世界で最も有名な耐久レースは後世、どのように評価されるのだろうか。フランスで始まった伝統と格式のレース、という意味では永遠に語り継がれることは間違いない。一方で、自動車レースとは何か、モータースポーツとは何か、について、(後発である)我々日本人は、他のスポーツ(スキーや水泳など)を思い出しつつさまざまな考えに至ったに違いない。ただ釈然としない思いのみを共有しつつ。
筆者はじつを言うと今回のル・マンで「赤いサークル」の中にいた。印象的だったのは、夜になってトヨタの7番が追突されたとき、モニターを見つめていたフェラーリ陣営のドライバーやメカニックたちが一瞬、案ずるような悲しいようななんともいえない表情を浮かべたことだった。チームトップの頬は少々緩んでいたけれど。
マラネッロは2022年にWECシリーズへのワークス参戦を発表し、100周年を迎えるル・マン24時間レースへの半世紀ぶりの復帰を宣言した。マシンはル・マン ハイパーカー規定の「499P」で、ここ数年間ワークス不在の大会を盛り上げ続けてきたトヨタ「GR010ハイブリッド」と真っ向勝負となった。マーケティングを含めた最重要イベントとしてル・マンを位置づけマシンと組織を開発してきたことは想像に難くない。
常勝トヨタに対するリスペクトはレース前から強く、予選を1-2で終えた後も彼らに本戦での勝利に対する手応えがあったとは思えない。半世紀ぶりの出場で、半世紀前と同じ予選1-2。マシンのカラーリング(赤と黄)はそのときの「312PB」をモチーフにしたものだったから、マラネッロとしてはこの時点ですでに上出来だったと思われ、それゆえ「レースでのトヨタはとても強い」と正直に口にする主だったチーム関係者の表情は、本番前とは思えないほどかえって清々しかった。
優勝こそしたもののマラネッロもまた「ルールにないBoP」による被害者であろう。なぜならル・マンでの勝利を目指して前哨戦を戦い、新開発のマシンを仕上げてきたその努力の全貌を正当に評価することが難しくなったからだ。トヨタはもちろん、キャデラックしかり、ポルシェしかり。そういえば現場にはプジョーを擁するステランティスHVのカルロス・タバレスCEOもいたし、同グループ会長でありフェラーリのトップ・オブ・トップでもあるジョン・エルカーンもいた。
マラネッロからル・マンへ。1200キロの応援ツアー
レースの始まる3日前の朝、私はマラネッロのフェラーリ本社工場にいた。旧正門を入ってすぐ、建物に囲まれた一角はエンツォ時代の面影をよく残すエリアだ。そこに最新ラインナップのロードカー、「プロサングエ」や「296」シリーズが用意されていた。世界から集まったメディアがそれらに分乗し、フランスはル・マンまでの1200km強を1泊2日で走るという応援ドライブツアーである。
私はクルマオタク(愛車はラーダ「ニーヴァ」とポルシェ「944」)の若いカナダ人新聞記者と一緒に赤い「296GTB」に乗り込んだ。499Pと同じV6ツインターボ+ハイブリッドの最新モデルである。モデナでアウトストラーダ(イタリアの有料高速道路)に入り、ミラノ・トリノ方面を目指した。午前中に400km、午後にはフランスに入る計算だ。
イタリアの高速道路はモデナ〜ミラノ間の「ひまわり1号線」を除くととても走りやすい。制限速度はおおむね130km/hだが、追い越し車線はそんなもんじゃなく、不用意にその辺りの速度域で巡航しようものなら、あっという間にパッシングを食らう。それでも居座るとテール・トゥ・ノーズ。日本の「煽り運転」など可愛らしいと思える状況だ。
警察に止められた理由とは
296GTBはV8ミドシップモデルに比べて少し重くなったとはいうもののホイールベースは短く、よりパワフルでリアルスポーツなイメージが勝っている。けれどもドライブモード(マネッティーノ)をWETにダイヤルして走れば、これがじつによくできたグランドツーリングカーに転じるから面白い。ハンドルはどっしりと安定し、バンピー路面対応の足まわりとなって、乗り心地も上々だ。運転を代わって助手席に移るとすぐ爆睡できるほど。
トリノを過ぎるとまだ雪を戴くアルプスの山々が見えてくる。青い空、白の混じった山々、そして新緑。フェラーリで走らずともうっとりしてしまう。
マラネッロからちょうど400km。ランチポイントに設定されたイタリア最西端の村(コムーネ)、バルドネッキアまであと50kmくらいというあたり、高速道路の料金所を出たところでポリツィアに停止を命じられた。ん? スピード出しすぎたか?
笑顔で警察官が寄ってくる。一応、車検証を見せろという。チェックを終えた彼らは正直にこう言った。「クルマを見たかったんだ」。なんだ、びっくりさせるんじゃないよ! 呆れたけれど、クルマ好きとはそういうもの。エンジンを吹かして出て行け! と煽る警察官。お望みどおり、レースモードでTCSオフにして尻を振りながら加速した。
ル・マンまで最後の400キロで最高速チャレンジ
午後、有料の長いトンネルを抜けるとそこはもうフランスだ。オートルートをさらに西進し400km先のクレルモン・フェランを目指す。そう、ミシュランの本拠地がその日の宿泊地であった。
ミシュランとフェラーリとの付き合いは古く、F1はもとよりロードカーでも60〜70年代に供給したほか、最近では「458イタリア」以降のロードカー用タイヤも共同で開発する。ロードカー用タイヤの開発期間は9カ月とスピード重視。ミシュラン開発陣がマラネッロに出向くことはもちろん、最近ではシミュレーションを使ってより早く精度の高い開発を行えるようになった。
翌日の午前中。ミシュランR&D開発センターでタイヤの最前線を学んだのち、ル・マンまで最後の400kmを走る。フランスの高速道路もまた空いているものの、最高速度は120km/h制限が多く、スピードカメラも散見される。それでも目の前に誰もいなくなれば296の実力を試してみたくなるのがクルマ好きの情というものだ。同乗したカナダ人は公道での個人最速記録を更新したと喜んでいた。私は寝ていて知らなかったけれど。
夕刻、ル・マン郊外のシャトーに到着する。そこにはモニターが設置され、ちょうど最後の予選「ハイパーポール」が始まるという絶妙のタイミングであった。