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昭和の三菱は攻めていた!「ミラージュ」は80年代に先駆けたキャッチーなクルマでした。「スーパーシフト」も斬新【カタログは語る】

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

昭和の三菱はセンセーショナルなクルマを続々と排出

1976年に登場した初代「ギャラン シグマ」を境に、三菱車の「次世代化」が一気に進んだ。そして1978年3月に登場した初代の「ミラージュ」は、コンパクトカーながら、初代ギャラン シグマ以上にセンセーショナルなクルマだった。

筆者の友人もサニークーペからミラージュに乗り換え

その登場は筆者もリアルタイムで「目撃」していたからよく覚えている。身近なとある飛行機マニアの友人は「フランスの軍用機(戦闘機)と同じ名前だ!」と驚いていたり、また別のクルマ好きの友人はカタログを見るなり「台形で窓が大きいAMCペーサーみたいだ」とも。かく言う筆者は文学科(日本文学)在学中だったから、反射的に卒論のテーマに選ぼうと準備に着手していた福永武彦の短編小説「幻影」のタイトルが頭に浮かび、少し切ない車名かも、と思ったもの。

そうこうしているうちに東京23区内に住むまた別の友人が、B110型「サニークーペ」からの乗り換えでなんと早速キャニオンレッドのミラージュを新車で買い、都下にある筆者の自宅まで乗って見せに来てくれた。まだ多摩ニュータウンが今ほど開発されていない頃で、都心からだと造成途上の多摩丘陵を越えて我が家にやってくるのが道順だったが「途中の“獣道”でもフランス車のようないい乗り心地だった」と、ミラージュのオーナーになったばかりの友人は筆者にファースト・インプレッションを聞かせてくれた。

その友人のミラージュの助手席に乗せてもらい(個人所有のクルマの場合、筆者は今も昔も特別な理由がない限りなるべく運転は遠慮するようにしている)近所のデニーズまでおかわり自由のアメリカンコーヒーを飲みに出かけたのだが、当時としてはタンブル(側面の傾斜)の強いスタイルだったから、サイドウインドウからガラス越しに見上げると空が広く見えたのが印象的だった(ドアガラスの曲率は1270Rで、GLグレード以上は熱線吸収ガラスが採用されていた)。

グラフ誌風のカタログも時代を先駆けていた

初代ミラージュは、新たな販売チャネルのカープラザ店の発足に合わせて投入された新機種だった。三菱車初のFWD(前輪駆動)車でもあり「Less Bulky, More Roomy」をテーマに開発されたという。

写真は(おそらく当時、ディーラーで貰ってきたものだと思うが)クルマのカタログというより紙質も体裁もグラフ誌風の冊子で、「空気力学を追求するとジェット機に似てきた」、「イメージは青いリンゴだった」、「1ミリでも窓を大きく、1ミリでもピラーは細く」など、キャッチーな見出しで読ませる内容になっている(読ませるといえば内容のひとつに片岡義男のエッセイがあったのをじつは45年間も筆者は迂闊にも見過ごしており、つい最近になり気づいた。この原稿が書き終わったら読まなければと思っている)。

こういったグラフ誌風の冊子、販促物は80年代にかけて流行ったが、あるいはミラージュは、こうした冊子でも先駆けだったかもしれない。

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