図画工作の写生でも格好の被写体に
で、あるとき図画工作の時間に「教室から外に出てきて写生をしてきなさい」と言われた(何度かあった気がする)。すると僕は決まってN先生のスバル360が停めてあるところに勇んで行くと、花壇の柵かどこかに陣取ると、決まってスバル360のある構内の風景を描いた。たしか割り箸の先をナイフで削って自分で作ったペンに墨汁をつけて絵を描く方法だったと思う。
とにかく昔ながらののどかな地方都市の懐かしい小学校と思えるような木造平屋の校舎(話は逸れるが入学した杉並の小学校は鉄筋校舎で、教室が上階なら、給食に出されるプリンがエレベーターで運ばれてきた)、その木の窓枠や瓦屋根なども描きつつ、いつでももっとも時間をかけて精巧に描いたのがN先生のスバル360だった。
「てんとう虫」と言われた航空機由来のスバル360のスタイルがとりわけユニークだったのはご承知のとおりだが、そのなんとも味わい深い姿は子ども心にもササったのだろうし、被写体としてもうってつけ。たしか三角窓をクイッと開けて走る姿が記憶にあるから、N先生のスバル360は1965年式あたりだったと思われる。
ディテールのどこをとってもじつに饒舌なデザインだった
いずれにしてもボディサイドの優雅に波打つフェンダーライン、リアクオーターウインドウ背後のフレッシュエアを取り込むために切ってあるスリット、フェンダーミラー、車体が少し浮き上がったように見えるタイヤとフェンダーアーチのクリアランス、それからなんといってもVW「ビートル」とともにひと目でそれとわかる、後部に向かってカーブを描いて下降していくルーフライン、シルエット……。
スバル360はクルマそのものはあくまでもシンプルだったが、ディテールのどこをとってもじつに饒舌で、眺めているだけでも見る者の気持ちを楽しげに弾ませてくれた。だから当時の僕もN先生のスバル360に惹かれ、図画工作の写生の時間には、授業であることも忘れ、スバル360と向き合うことができるシアワセな時間を満喫していたのだと思う。
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ところでスバル360には、今から数年ほど前、2016年に開催されたメーカーのイベントの際、テストコースで試乗するというまたとないチャンスに恵まれた。正直なところ、こういう場合は嬉しさはもちろんだが、それ以上に先に立つのは、綺麗にレストアされたクルマを壊してはならない……という思いだ。
そこでクルマに負担をかけないよう注意深く「1人1周」の短いコースを走ったに留まったが、空冷2サイクル2気筒エンジンの懐かしいサウンドを背後から聞きながら、万感の思いというと大袈裟かもしれないが、ともかくしみじみとした気持ちになったのだった。今年2023年で富士重工の設立から70年、1958年生まれのスバル360(と東京タワー)と筆者は同い歳だ。