「てんとう虫」と呼ばれ親しまれた小さくかわいい軽自動車
1958年に富士重工業が発売した軽自動車「スバル360」は日本のモータリゼーションの立役者となるとともに、「てんとう虫」の愛称でも親しまれました。今回は、筆者が小学生の時代の担任のN先生とスバル360の思い出を振り返ります。
小学校の下校時、スバル360に乗せてくれたN先生
昭和の軽自動車というと僕が真っ先に思い浮かべるのは「スバル360」だ。プライベートな話で恐縮ながら、僕は小学校に上がるまでを東京・杉並で過ごし、1年生の2学期から父親の健康上の理由で、空気のいいところへと引っ越すことになり、神奈川県西部の海沿いのKという町に住まいが移った(当時の国鉄の官舎だったが)。
年代でいうと昭和40年(1965年)頃で、引っ越すと、鉄筋2階建ての真新しい官舎の2階のベランダで父親と一緒にソニーのポータブルラジオ(ソリッドステート11)のロッドアンテナを伸ばしFMの試験放送を聴いたり、近くを走る開業直後の東海道新幹線(最初の0番台、921型ドクターイエローが走っているところも写真に収めた)を、買って間もない父親の自慢のカメラ(キヤノネットQL17)で撮りに行ったりした。だが、ほどなく父親は病に倒れ他界、もちろんそのことで子ども心ながら深く寂しい思いに押しつぶされそうになったことはよく覚えている。
ちょうどそれは小学3年生に上がってスグのことだったが、そのときの担任の男のN先生(アコーディオンの演奏がお得意だった)が乗っていたのがスバル360だった。N先生の一軒家のご自宅は僕の住まいからも近く、朝の登校時間には、農道のような僕らの歩く通学路を後ろから走ってきては追い越していくのだった。そのときの、轍(わだち)のできた道をポジティブキャンバーのかかったリアタイヤで車体を浮かせて走り去る後ろ姿や、エンジン音、排気のニオイなど、今でも鮮明に覚えている。
また下校時になるとまれに「乗っていくかい?」と声をかけてもらうことがあり、そうなると僕は小躍りしながらスバル360の後ろヒンジのドアのハンドルを掴んで自分で開けてシートに収まり、パタンとドアを閉めると乗車完了。あとは風を切って走るスバル360の車内から、窓越しに見える田んぼや蜜柑山、単線の国鉄線を走るD52やC11(まだSLが走っている時代だった)を至福の思いで眺めていたのだった。
図画工作の写生でも格好の被写体に
で、あるとき図画工作の時間に「教室から外に出てきて写生をしてきなさい」と言われた(何度かあった気がする)。すると僕は決まってN先生のスバル360が停めてあるところに勇んで行くと、花壇の柵かどこかに陣取ると、決まってスバル360のある構内の風景を描いた。たしか割り箸の先をナイフで削って自分で作ったペンに墨汁をつけて絵を描く方法だったと思う。
とにかく昔ながらののどかな地方都市の懐かしい小学校と思えるような木造平屋の校舎(話は逸れるが入学した杉並の小学校は鉄筋校舎で、教室が上階なら、給食に出されるプリンがエレベーターで運ばれてきた)、その木の窓枠や瓦屋根なども描きつつ、いつでももっとも時間をかけて精巧に描いたのがN先生のスバル360だった。
「てんとう虫」と言われた航空機由来のスバル360のスタイルがとりわけユニークだったのはご承知のとおりだが、そのなんとも味わい深い姿は子ども心にもササったのだろうし、被写体としてもうってつけ。たしか三角窓をクイッと開けて走る姿が記憶にあるから、N先生のスバル360は1965年式あたりだったと思われる。
ディテールのどこをとってもじつに饒舌なデザインだった
いずれにしてもボディサイドの優雅に波打つフェンダーライン、リアクオーターウインドウ背後のフレッシュエアを取り込むために切ってあるスリット、フェンダーミラー、車体が少し浮き上がったように見えるタイヤとフェンダーアーチのクリアランス、それからなんといってもVW「ビートル」とともにひと目でそれとわかる、後部に向かってカーブを描いて下降していくルーフライン、シルエット……。
スバル360はクルマそのものはあくまでもシンプルだったが、ディテールのどこをとってもじつに饒舌で、眺めているだけでも見る者の気持ちを楽しげに弾ませてくれた。だから当時の僕もN先生のスバル360に惹かれ、図画工作の写生の時間には、授業であることも忘れ、スバル360と向き合うことができるシアワセな時間を満喫していたのだと思う。
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ところでスバル360には、今から数年ほど前、2016年に開催されたメーカーのイベントの際、テストコースで試乗するというまたとないチャンスに恵まれた。正直なところ、こういう場合は嬉しさはもちろんだが、それ以上に先に立つのは、綺麗にレストアされたクルマを壊してはならない……という思いだ。
そこでクルマに負担をかけないよう注意深く「1人1周」の短いコースを走ったに留まったが、空冷2サイクル2気筒エンジンの懐かしいサウンドを背後から聞きながら、万感の思いというと大袈裟かもしれないが、ともかくしみじみとした気持ちになったのだった。今年2023年で富士重工の設立から70年、1958年生まれのスバル360(と東京タワー)と筆者は同い歳だ。