50~70年代にちょっとしたムーブメントだった「ビーチカー」
かつて1950年代から1970年頃にかけ、自動車史の中に小さいながらひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」と呼ばれるジャンルのクルマたちがいた。その名の通り「夏の浜辺やリゾート地で乗り回すのに適した軽便な小型車」というのがビーチカーの大まかなイメージで、その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種である。わが国でも1970年前後には、ビーチカーやバギー、ジープなどのオフロード4WDなどをひと括りにして「レジャーカー」などと呼んでいた時代もあった。そんな一世を風靡した代表的なビーチカーたちを、当時の写真を交えて紹介していこう。
フィアット創業者の孫、ジャンニ・アニェッリが考案
レーシングカーのレギュレーションなどとは異なり「ビーチカー」にさほど厳密な定義はないが、それでもこのモデルこそがビーチカーの元祖にして精神的ルーツであることに異論を唱える人は少ないだろう。それが今回の企画でいの一番に取り上げるこちらのモデル。ご覧の通り、2代目「フィアット500」(ヌォーヴァ・チンクエチェント)をベースに作られた派生モデル「フィアット500ジョリー」である。
このフィアット500ジョリーの(すなわちビーチカーというジャンルの)生みの親と言えるのが、ジョヴァンニ・アニェッリだ。フィアットの創業者、ジョヴァンニ・アニェッリの孫にして、貴族の血を引くジョヴァンニ・アニェッリ(祖父と同名)。祖父との区別のため、愛称であるジャンニを使ってジャンニ・アニェッリとも呼ばれる。
第二次世界大戦直後の1945年からフィアットの副社長を務めていたジャンニ・アニェッリ。そんな彼が1957年にデビューした2代目フィアット500をベースに、カロッツェリア・ギアに作らせたのがフィアット500ジョリーだ。こう聞くと「時のフィアットの副社長が、デビューしたての自社の大衆車の話題作りのために派生モデルを企画した」ようにも思えるが、全くそうではない。
イタリア最大の自動車メーカーの創業者一族にしてイタリア最大の財閥となるアニェッリ家のジャンニは、そもそもフィアットの副社長である以前に、自前の巨大なヨットで地中海のリゾート地を巡り各国の王侯貴族らと親睦を深めるといった日々を過ごす、われわれ一般市民には想像もつかない世界に身を置く、真のセレブリティでもあったのだ。
自分の船に乗せて散策するためのアシとして製作
そんなジャンニ・アニェッリが考えたのは、自分の船に載せられる程度のサイズで、港につけばその界隈を気軽に散策できる気の利いたアシがあれば楽しかろう、しかも他の誰も所有していないワンオフものならなおのことよろしい……。というわけで、デビュー間もない2代目フィアット500をベースに、カロッツェリア・ギアに作らせたのがフィアット500ジョリーというわけだ。
その目的に合うように、元の500の屋根とサイドパネルは切り取られ、もちろんドアも外された。ルーフの代わりにフリンジが付いた日除けの天幕が張られ、濡れた水着のままでも運転できるようにと、シートは籐細工となっている。
車名となったジョリー(Jolly/陽気な)という名称はまさにこのクルマのキャラクターを表しているが、それと同時に道化師(ジョーカー)や小舟(ディンギー)といった単語の持つニュアンスも含まれているとも言われる。
世界のセレブたちの間で大ヒット
もともとジャンニ・アニェッリが自分専用の「特注おもちゃ」として作ったフィアット500ジョリーだったが、「イタリア貴族の末裔が自分のヨットに面白いクルマを載せてあちこちのリゾート地に出没するの図」は、当時の社交界で思いのほか大きな話題になったようで、ジャンニ・アニェッリと親交のあった欧米の王侯貴族や富豪、ハリウッドの映画スターなどが競ってこの「特注おもちゃ」を所望するようになり、フィアット(というかジャンニ・アニェッリ?)は、このジョリーをいわば「裏メニュー」的に用意するに至った。
価格は通常の500の倍、活躍できる場所もタイミングもごく限られるにもかかわらず、この500ベースの他に兄貴分の「600」や「ムルティプラ」をベースにしたモデルも作られ、その合計は一説には700台とも言われている。
贅沢な貴族趣味の発露として、1957年に作られた1台のフィアット500ジョリー。その生まれた経緯から使われ方まで、このモデルこそがまさにビーチカーのルーツだと改めて思う夏である。