WRCに参戦するも戦績は振るわず
トヨタは前年に引き続き、1994年もマニュファクチャラーズとドライバーズのダブルタイトルを達成するが、1994年の前半はST185で参戦し、ST205では未勝利に終わる。
翌1995年のツール・ド・コルスでST205も初勝利を挙げるが、ラリー・カタルーニャで、リストリクターに関する車両規定違反が発覚。トヨタはこの年の全ポイントを剥奪され、1年間の出場停止となった(トヨタは自主的に2年間の出場停止)ため、ST205のWRCでのリザルトは1勝にとどまり、この1995年を最後に、セリカでのWRCワークス参戦を終了してしまった。
では市販車としてはどうだったのか。
正直フロントヘビー(前後重量バランスは61:39)でアンダーステア傾向が強く、スポーティだったという印象は乏しい。国産の2リッターターボのスポーティモデル、とくにラリーシーンでのライバルになる三菱の「ランサーエボリューションII」やスバルの「インプレッサ」(GC8)に比べるとパフォーマンス面で影が薄かった感は否めない。
WRCでの一件があり、なんとなく歴代セリカ GT-FOURの中でもブラック(?)なイメージがあるST205だが、カストロールカラーのワークスカーがグラベルを疾走するシーンはカッコよかったし、パイクスピーク・ヒルクライムでは3度の総合優勝(1994年、1996年、1997年)を果たすなど、セリカ黄金期を語るうえで欠かすことのできない大事な1台であることは間違いないだろう。