チンクエチェントオーナー必読の湿気対策方法もお伝え!
愛知県の「チンクエチェント博物館」が所有するターコイズブルーのフィアット「500L」(1970年式)を、自動車ライターの嶋田智之氏が日々のアシとして長期レポートする「週刊チンクエチェント」。第15回は「マジかー!? ペダルがフロアにコンニチハ」をお届けします。
応急処置とは思えぬ手厚いサポート
ベーシックベーネ・ニワの丹羽さんとお会いするのは、どれくらいぶりだろうか?『ティーポ』の編集者時代だったのはたしかだけど、おそらく丹羽さんがショップをオープンさせてからそう時間が経ってない頃で、すごく腕の立つ人がいると聞いて取材に行った記憶があるから、おそらく20年ほど前? とても穏やかな方で、訊ねればその場で即座に転ばぬ先の杖みたいなことまで教えてくださって、お客さんたちから信頼が厚いことが一発でわかったのを、よく覚えている。
丹羽さんは昔と変わらない笑顔で僕たちを迎えてくださった。御無沙汰の挨拶もそこそこに僕が感じていたことを伝えると、すぐに問題を一緒に考えてくださり、「ガレージがいっぱいで中に入れられないから、あくまでも応急処置的なものになっちゃいますけど……」と言いながらも、ゴニョン(仮称)をジャッキアップしてチェックをはじめてくださる。ガレージの中でレーシングカーのようなチンクエチェントが重整備を受けている最中なのは見てわかるし、プロはガレージ外でのこうした作業はできるだけ避けたいものだということもわかっていながら、お願いしたからだ。
ついでにお伝えしておくと、ゴニョン(仮称)はチンクエチェント博物館が日本に入れた、かなり初期のクルマ。車両管理番号は「#011」とされていて、2回目か3回目の船積みで日本にやってきているわけだ。その頃は前々回でお伝えしたネットワークづくりが着々と進んでいるタイミングで、博物館車両のPDIのメニューも暗中模索。今では丹羽さんはじめチンクエチェントのプロの提案でかなり深いところまで行われるようになっているようだ。とはいえ、いずれあきらかになるゴニョン(仮称)のトラブルの根っこはPDI作業とは何ら関係がないというか、ほぼ全バラのレベルまでやらないとわからないんじゃないか? というところに潜んでいたというか、そんな感じだったのだけど。
ともあれ、最初はステアリングを切ったときの動きの渋さから。走らせるのに支障があるというほどでもないけど、切り込んでいくときも戻すときも、ちょっとばかり違和感を感じるのだ。丹羽さんは、まずはフロントのキングピンまわりのチェックと調整、グリスアップなどを施してくださった。同時に振動の原因を確認する意味で、まずはそのままフロントのハブベアリングの調整、前後サスペンションのガタのチェック、エンジンマウントの高さ調整、ミッションマウントとミッションマウントステーの隙間のゴムのチェックなど、おおよそ考えられるところすべてに手を入れてくださる。応急処置のレベルじゃないでしょ、これ……。
もうひとつ、博物館からの出発直前に気づいたことなのだけど、車外からキーでドアのロックとアンロックをすることはできるものの、運転席側ドアのロックノブが機能してなかった。そこも助手席側ともども診ていただく。ドアの内張りを外してチェックしていただくと、内部でパーツがはずれている様子。そこに手を入れながら丹羽さんが教えてくださったところによると……。
クルマのドアは大なり小なりガラスとウェザーストリップ(=ゴムパッキン)の間から水が内部に入るもので、設計の旧いチンクエチェントももちろんそう、というか思い切り入る。その水はドアの内部の下側に3つの孔があって、そこから抜けることになっている。……のだけど、速攻で抜けるっていうわけじゃない。そのため内張りが水や湿気を吸ってフニャフニャになったり湾曲しちゃったりして、インテリアの見栄えを大きく損ねちゃったりすることにもなるわけだ。
それを防ぐため、どうやら新車のときには内張りとドアの間に何かをはさみ込んで水/湿気が内張りに直接的な影響を与えないような対策をして販売していたらしい。そういう痕跡のあるクルマを、何台も見てきたそうだ。でも、そんな部品なんてない。そこで丹羽さんはいろいろ考えた結果、秘密兵器を編み出した。
可児市 家庭用ごみ収拾袋。
ほどほどの厚さでサイズもわずかな加工で使えるくらい。試しに使ってみたらなかなかの効果で、内張りがしっとりすることがなくなったのだそうな。以来、望まれない場合以外は施工することが多いという。もちろん僕も、お願いした。内張りを外すと顔を出す「可児市 家庭用ごみ収拾袋」。何だか楽しいし。
チンクエチェントの湿気対策
その作業が終わったので丹羽さんにチンクエチェントでの水対策・湿気対策のようなことを質問したら、驚くほどていねいにあれこれ教えてくださった。その中で印象的だったのは、まずはフロントウインドウとリアウインドウのそれぞれのウェザーストリップまわり。これがちゃんと機能していればいいのだけど、ゴムの硬化や変形などで隙間ができるとそこに水が入ったり湿気がたまったりするようになって、車体の側にサビが生じてくる。ここの腐食が進むと……ああ、考えただけで恐ろしい。
それにキャンバストップのリア側。ここにも隙間があって、当然ながら水も入るし場合によっては溜まる。イコール、腐りにつながる。ああ、こっちも考えただけで恐ろしい。丹羽さんのところでは、前後ウインドウのウェザーストリップのところは手練れのガラス業者さんとの協同作業で水が入らない構造にする施術をすることができるし、キャンバストップのところに独自のシーリングを施したりもしているという。……いずれそれも施工してもらいに来よう、と思った。僕はすでに、チンクエチェントは動く文化遺産、だと思っている。できるだけいいカタチで未来に残したいじゃないか。
まさかトラブルが発生!
そんなこんなで丹羽さんにも試走してもらい、ステアリングは少々動きの違和感が薄れたが、その原因は特定できず。そして振動の方は丹羽さんが手を尽くしてくださったにも関わらず、依然として特定の速度域に達すると発生する。こちらも原因は特定できず。新品パーツをたくさん使って組んだクルマだから馴染んでないところがあっても不思議はないし、走るのに差し障りはないといえばない。僕と深津さんはもう少し様子を見てみようと結論づけて、丹羽さんのところを辞することにした。丹羽さんの「くれぐれも注意深く走ってくださいね」という言葉が身にしみた。
まぁ……先述のとおり、原因など特定できるはずはなかったのだ。ついでに言うなら、注意深く走ったけど結果は変わらなかったはずなのだ。もちろんそれは今になって言えること。この頃はゴニョン(仮称)に関わったすべての人の頭の中に「……?」があったようなものだった。そして生まれて初めてゴニョン(仮称)を走らせたこの2021年4月9日、僕は生まれて初めてゴニョン(仮称)でのトラブルに見舞われる。
深津さんと一緒にチンクエチェント博物館に戻り、しばらく雑談を楽しんで、暗くなりはじめたあたりで東京に向かうことにした。同じ月の25日に九州トリコローレというイベントが予定されていて、そこには毎回トークのゲストとして呼んでいただいていることもあり、ゴニョン(仮称)をそこで豚骨スープみたいに濃い九州のチンクエチェント乗りたちにお披露目するつもりだった。そんなこともあっての「少し様子を見てみよう」であり、それを東京での日常生活の中でやろうと考えていたのだ。
高速道路もできるだけ走るパイロンにならないように交通量や車線の数を考えてルートを選んだのは、振動がグッと大きくなる速度域には可能な限り入れず、ゆっくり走っていくつもりだったから。ベーシックベーネ・ニワからの帰り道に、クルマの速度計が65km/hを示すときにはiPhoneのナビのGPSで75km/h弱であることが判明していたから、メーター60km/hで走れば高速道路の最低速度にはまったく触れないし、まわりのクルマに迷惑をかけることもない。そう思っていた。
そして東海環状自動車道の豊田松平インターチェンジの少し手前、左車線を左ベタベタにメーター60km/hキープで走っているとき、それは起こった。右側からチンクエチェントを抜いていった大型トレーラーが、小さくて見えなかったのかヘッドランプが行灯並みに暗いから目測を誤ったのか、ゆら〜っと車線変更をして箱のテールが鼻先をかすめそうになったのだ。反射的にグッとブレーキを踏ん……えーっ! ペダルがフロアについた!?。
いや、これまでの自動車雑誌編集者/自動車ライター生活で培ってきたトラブル慣れとは恐ろしいもので、僕は反射的にサイドブレーキのレバーを引き上げて減速し、もともと多少の速度差もあったし、もちろん大事にはいたらなかった。いたらなかったのはいいのだけど、どうしよ……? その気になればサイドブレーキだけで東京まで帰ることもできるけど、またクルマをこっちまで運ぶのも大変だしなぁ……。
とりあえず豊田松平インターで一般道に出て、停まってスマホでホテルを検索することにした。在来線で名古屋を目指して新幹線で帰ることができるかどうかギリギリの時間、それにゴニョン(仮称)をその辺に放って帰るわけにもいかないし、そんなのイヤだ。一番近いのは豊田市エリア。……おっ! 1件だけ部屋が空いてるホテルがあった! よしよし。……なぬっ? 何だよここ豊田市でいちばん高いホテルじゃん……。
背に腹は代えられない僕は、仕方なくフツーひとりだったら絶対に泊まらない高級ホテルをポチッと予約して、サイドブレーキのレバーを握りしめながら豊田市の駅前を目指したのだった。
そしてサイドブレーキとひとり手押しを駆使しながら駐車スペースにおさめたのが、今回の最後の写真である。
■協力:チンクエチェント博物館
■協力:ベーシックベーネ・ニワ
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