世界3大ラリーで初めて世界を制した日本人と日本車
世界3大ラリーのひとつであるサファリ・ラリーで、日本人初の総合優勝に導いたマシンがトヨタST185型「セリカGT-FOUR」だ。そのドライバーこそサスペンションメーカーのテイン(TEIN)創業者である藤本吉郎氏で、現在その実物は氏が所有している。創業者の藤本氏の熱意によって完全修復されたマシンの現在の姿を紹介する。
サファリ・ラリーで日本人初総合優勝に導いたマシン
1990年代のラリー・ブームを覚えているだろうか。最高峰のFIA世界ラリー選手権ことWRCでは、コリン・マクレーがスバル「インプレッサWRX」で、三菱「ランサーエボリューション」にはトミ・マキネンが、トヨタ セリカGT-FOURはユハ・カンクネンがワークスマシンを駆り、壮絶なポイント争いを繰り広げた。
ここで紹介する当時のトヨタワークス・カストロールカラーのST185型セリカGT-FOURは、ブームの火付け役となったWRCとは別のステージで活躍したモデルだ。そのルックスに懐かしさを感じるファンも少なくないはず。このモデルは世界3大ラリーのひとつ、サファリ・ラリーへの参戦用に作られたトヨタのワークスモデル。じつは創業者の藤本吉郎氏は1995年当時、実際にこのマシンに乗り、日本人初となるサファリ・ラリー総合優勝の栄冠に輝いている人物だ。
テイン創業者の熱意によって蘇った
サファリ・ラリーは、ラリー・モンテカルロ、RACラリーとともに世界3大ラリーとして有名で、最も過酷なステージと呼ばれている。コースは大自然の中に作られ、広大なステージは赤土と砂漠地帯が広がる過酷なコースコンディションが続く。頻繁に発生する豪雨に見舞われると、路面はたちまち泥だらけとなり、ぬかるみ状態で道なき道を突っ走る。
そして、野生動物の生息地でもあるため、動物たちの突然の飛び出しにも注意しなければいけない。神経をすり減らしながら走る悪路の競技距離は3000km近くに達する。よって、求められるのはマシンの性能と耐久性だけでなく、ドライバーのスキルやチーム力など、サファリ・ラリーを制するには総合的な強さが必要になるわけだ。そんな過酷なステージにおいて、日本人で唯一の総合優勝を果たしたのがテインの創業者である藤本吉郎氏だった。
偉業を成し遂げたトヨタのワークスマシンだけに、優勝後はその状態のまま日本国内で展示保存されていた。だが、時の経過とともに劣化が進み、大幅な修復が必要に。そこで、思い出のマシンが朽ちていく姿を見かねた藤本氏がトヨタと交渉し、特別に車両を譲り受けてフルレストアを施した。当時のファクトリースタッフにも協力をしてもらい、サファリ・ラリー仕様のST185セリカGT-FOURは完全修復を果たしたのだ。
先進テクノロジーが注入されていた
フロントにはアニマルガードを取り付け、リアハッチにはスペアタイヤを背負う姿が勇ましい。テインの担当者に聞いたところによると、この時代にドライカーボンをはじめ、チタンやインコネル素材を使ったパーツを多用しているというのだから驚かされる。また電子制御面でも、車体の姿勢を安定させるべく、トラクションコントロールといった機能も搭載しているという。
また、FIA(国際自動車連盟)のレースカテゴリーではグループA(量産車部門)になるので、エンジンは市販モデルと同じく3S-GTE型エンジンをベースにチューニングしてある。インコネル製のストレートマフラーを装着し、最大出力は295ps、最大トルクは42kg-mを発生させる。駆動系については、Hパターンの6速ドグミッションで、プロペラシャフトは当初カーボン製を使用していたが、トラブルが多く最終的にチタン製に交換されていた。
レガシーとして遺すべき1台
泥の中での過酷な戦いを制してきたST185セリカGT-FOURのサファリ・ラリー仕様車。その装備はというと、フロントバンパーに取り付けたネットや、通称シュノーケルと呼ばれるドライカーボン製のインテークシステム、さらに左右サイドミラーに取り付けたウイングライト、そしてOZレーシングのホイールなど、サファリ・ラリー仕様ならでは。そんな武装した姿を見ると、その速さが見た目からでも充分に伝わってくる。
このマシンは見た目だけでなく、走りについても当時の戦闘力を完全に蘇らせているという。むしろ現代の技術が加わったことで、さらにポテンシャルは上がっていると言えるかもしれない。
いずれにしても、このマシンはサスペンションメーカーであるテイン創設者・藤本吉郎氏の熱意によって、再びわれわれが目にすることができたレガシーとも言える特別な1台だ。