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レトロなガススタにいた「ルート66」の名物おじさん! 亡きあとは娘さんが志を継いでいます【ルート66旅_13】

写真を撮らせてと頼むと、お気に入りのキャップを被って受話器を持つ。そんな茶目っ気も大勢の旅人に愛された理由だろう

ルート66と旅人を愛した名ホスト、ゲイリー・ターナーさん

広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。今回は、かつてミズーリ州で旅人たちを歓待してくれた名物男、ゲイリー・ターナーさんの思い出を振り返ります。

ルート66でミズーリ州を通るなら外せない名所だった

人生で数え切れないほど繰り返す出会いと別れ。ルート66の旅でも会者定離(えしゃじょうり)は決して珍しいことじゃない。とくに廃線になる前を知っている世代は高齢化が進み、再会を約束したものの次に訪ねると亡くなっていた、なんて寂しいできごとを私も幾度となく経験してきた。

なかでも脳裏に残っているのはミズーリ州アッシュグローブで、長年にわたりルート66の旅人を歓待したゲイリー・ターナー(Gary Turner)さんだ。1944年2月3日に生まれた彼は仕事を引退した後、レトロなレプリカのガスステーションを建設。ゲイリーさんの優しい人柄とあふれんばかりのサービス精神で、アッという間にルート66の外せない名所として有名になる。

初めてここを訪問したときは珍しく来客がおらず、彼もガレージにいたようで人の気配がなかった。所在なく立ち尽くしていたところ「ようこそ! ルート66を走ってるのかい?」と、今も忘れられない人懐っこい笑顔で声をかけてくれたのがゲイリーさん。日本から来て今回が初めての全線走破だと答えたところ、ますます笑顔になり「それは凄いな。休憩していくかい?」と。ベンチに座るとルートビアを勧められ、初対面とは思えないほど話し込んだ。ルート66のことに地元のこと、また日本のことも色々と質問され、気が付けば軽く1時間を過ぎていた。

世界地図を片手に「キミの故郷はどこだ?」と尋ねられたので宮城県仙台市を指す。そこから「人はどれくらい住んでいる?」「100万人は超えているはず」「そりゃ凄いな! じゃ東京はもっと多いのか?」「たしか1500万くらい」「そんなに! まるでニューヨークじゃないか」と会話が続く。そろそろ出発しようとすると名残惜しそうに「気を付けてな。また走ることがあれば寄ってくれ」と言われ、来年の同じ時期に必ず来ますと約束した。

没後もガスステーションは再建されて今も旅人を見守る

有言実行で翌年ゲイリーさんを訪ねると、ちょっと驚きながら「忘れてないぞ!」と。日本のお土産を渡しつつまたもや話が弾み、渡した以上のお土産をいただいてしまう。ギフトショップを併設しているので「商品なんだからちゃんと支払わせて下さい」と頼むものの、なかなか受け取ってくれず、見ていない隙にドネーションボックスに何度お金をねじ込んだことだろうか。

彼と会うことが旅する理由のひとつでもあったが、2015年1月に共通の知人から訃報が届く。70歳と早すぎる死だった。直後に再びルート66を全線走破する機会があり、主人のいないガスステーションを訪ねてみた。そのときは奥さんのレナと親族がおり「なんとか彼の遺志を継ごうと思っている」と話していたが、彼女も同じ年の5月にゲイリーさんの後を追うように他界してしまう。以降はしばらく放置され盗難の被害にも遭ったようだが、現在は娘さんご夫婦が移住し再建を果たしたとのこと。

思えば毎年の恒例行事であるルート66の旅にひと区切りつけたのは、ゲイリーさんに会えなくなったことが理由のひとつかもしれない。ただ彼の志が引き継がれたと知ったからには、やはり足を運ばないわけにはいかないだろう。ゲイリーさんにもらったシャツや帽子を身に付け、私が撮影した彼やガスステーションの写真を持って。

夫妻が並んで眠る墓標に刻まれた「Friends for life」という言葉は、ルート66の名ホストとして世界中に友人を作ったゲイリーさんの人生そのものだ。

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