カリフォルニアのビーチの象徴といえばデューン・バギー
かつて1950年代から1970年頃にかけ、自動車史の中に小さいながらひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」と呼ばれるジャンルのクルマたち。その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種だった。今回は、ドイツ生まれのフォルクスワーゲン「ビートル」をベースにしたアメリカ西海岸のアイドル、通称「デューン・バギー」を振り返る。
アメリカならではの実用主義的な自動車風土が生み出した
かつてのヨーロッパでは、自動車はまず王侯貴族や大富豪の富と権力の象徴として発達を遂げた部分も大きかったが、その一方でガスや水道、電気よりも先に、幌馬車代わりの「T型フォード」が社会インフラとして普及したとも言われるアメリカでは、自動車は贅沢品としてではなく、民具・生活必需品として浸透していった。この欧州と北米とのモータリゼーション黎明期の差異は、1960年代から70年代初頭にかけて全世界的に流行した「ビーチカー」のジャンルでも、微妙に異なる発展を遂げたように思える。
今回ご紹介するのはアメリカは西海岸発祥の、空冷フォルクスワーゲンのシャシーをベースに生み出された「バギー」だ。
現在ではビーチカーのジャンルで括っても違和感を感じる人は少ないと思うが、欧州の貴族趣味の残り香を感じるフィアット「500ジョリー」などと比べると、こちらはやはりアメリカならではの実用主義的な自動車風土が生み出したクルマと言えるかもしれない。
若者たちのクルマ遊びのベースとしてVWが人気に
もちろんアメリカにも大富豪やハリウッドスターらが好んだデューセンバーグやパッカード、ピアス・アローといった超高級車は存在していたが、クルマが好きな、しかし財布の軽い大多数の若者たちにとって、それらは無縁の存在。かといって、お仕着せの大衆車をそのまま乗るのは面白くない……。
そこで彼らはスクラップヤードで程度の良い廃車を手に入れ、そのフェンダーやルーフを切り取って軽量化してみたり、よりパワフルなエンジンに載せ替えてみたりと、思い思いの方法で自分だけのクルマ趣味を楽しんだ。当初はフォードのT型や「モデルA」などがその格好のベース車両となっていたが、第二次世界大戦後の1950年代以降、西ドイツからフォルクスワーゲンが大量に輸入されるようになると、それら空冷フラットフォー一族もまたカスタムカーのベースとして広く使われていくこととなる。
元祖メイヤーズ・マンクス・バギーがオフロードレースを席巻
1964年、カリフォルニアのブルース・メイヤーズが、トラクションに優れるRRのフォルクスワーゲン・ビートルのシャシーをショートホイールベース化、そこにオリジナルのFRP製軽量ボディを架装し、オフロード用の低圧タイヤを履かせて「メイヤーズ・マンクス・バギー」と呼ばれる1台の試作モデルを製造、翌年から市販を開始した。
バギーとはもともとは1頭立ての小さな馬車のことだが、この新しい乗り物は一般に「デューン・バギー」、あるいは「サンド・バギー」と呼ばれた。
これはリゾート地の海沿いをゆったり流すおしゃれなビーチカーとは異なり、もともとは砂丘や砂漠などで行われるレースのために作られたもの。1967年にはNORRAメキシカン1000ラリー(バハ1000の前身)で優勝するなど、メイヤーズ・マンクス・バギーは各地のオフロードレースで好成績を収め認知度を高めていった。そのモータースポーツの分野におけるサクセスストーリーは、「オースティン・セブン」をベースに生まれたロータスや、ルノー「4CV」をベースに生まれたアルピーヌのそれにも通じる。
無数のフォロワーを生みながら本家もEV版をリリース
メイヤーズ・マンクス・バギーの名声と人気は、アメリカ国内はもとより、世界的にも数多くのフォロワーを産んだ。その多くはマンクス同様、パーツの供給やチューニングが容易なビートルがベースで、そのユーモラスなデザインも類似していた。
それらはやがて「オフロード・レースのために生まれたスペシャル」という枠を越え、既存の価値観にとらわれない若い世代の自由の象徴となり、一連のバギーも広義にはビーチカー、あるいはこの時代を象徴するレジャーカーの一族としても認知されるようになっていった。
1960年代に一世を風靡したさまざまなビーチカーたち。現在ではいくつもの自動車メーカーが、この時代に生まれた自社ゆかりのビーチカーをオマージュしたセルフカバー的モデルをリリースしているが、カリフォルニアで今なお盛業のメイヤーズ・マンクス社も2022年にEV版「メイヤーズ・マンクス2.0エレクトリック」をリリースするなど、その例に漏れない。