軽自動車初のミッドシップ・オープン2シーターとして衝撃デビュー
ホンダ「ビート」が登場したのは1991年5月のこと。最初にこの車名を聞いたとき、筆者は1971年に明治製菓から発売されたロングセラー商品の「コーヒービート」を、小粒というイメージから反射的(かつひそか)に思い出した……というのはここだけの話。もちろん音楽用語の「ビート」に由来し、「強いリズム、心臓の鼓動などを意味し、風を切るときめき、走らせる楽しさを響かせるクルマであることを目指して」の命名、だったとホンダはしていた。
カタログも型破りでポップなビジュアル
とにかくカタログからして奮ったものだった……というのは、ホンダ ビートで今でも強く残っている印象のひとつ。言葉で説明するより写真でご覧いただいたほうが話が早いが、クルマのカタログとしては型破りなビジュアルは、眺めているだけでも楽しげだった。ただし筆者のファッションセンスは「トラッド止まり」で、すでに1991年段階で最新の流行には疎かったため、「きっと今どき(=当時)のセンスなのだろうなぁ」と想像しながら見ていたのだったが……。
「セダンやクーペや、いままでのオープンカーでは味わえなかった、新しい走りの世界をプレゼントします。パーソナル・コミューター『ビート』誕生。」
これはビートのカタログの最初のページに記されたコピーの一節だが、まあ文面のほうもなかなか柔らかいトーン。かたやプレス向けのニュースリリースでは、
「軽乗用車として初めてエンジンを座席後部に搭載し、後輪を駆動するミッドシップエンジン・リアドライブ(M・R)と2シーター・フルオープンボディを採用」
と、端的な説明で紹介されていた。
プレス向け広報資料まで若さがあふれていた
一方で国産新型車の発表に合わせてメーカーが用意する広報資料にも特徴があった。通常であれば、いかにも書類書類した体裁であるところ、カタログに通じるデザインを採用。広報資料という性格上、カタログのようにお見せするのは自粛するが、文面も準カタログといった活きのいいものだった。
さらに中身を追っていくとデザイン、シャシー、エンジンなどパートごとに内容がまとめられているのは通常どおりだが、各パートごとの担当者が「私服」で和気あいあいと写った集合写真が載せられていたのだった。ちなみにビートの開発チームの平均年齢は28.6歳という若さ。当時の川本社長からは「失敗してもいいから」と励ましもあったそうで、開発チームはそれまでのクルマの価値基準にとらわれない、自由な発想のクルマの開発に取りかかれたという。