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昭和の傑作「バモスホンダ」は誰のためのクルマ? 仕事からレジャーまでこなす新時代の軽自動車でした【夏のビーチカー_06】

1970年にデビューしたバモスホンダ

バギーともジープ系とも違う、ホンダ独自の多用途カー

かつて1950年代から1970年頃にかけ、自動車史の中に小さいながらひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」と呼ばれるジャンルのクルマたち。その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種だった。今回は、ホンダが1970年に発売したユニークな軽オープン、「バモスホンダ」を当時の写真で振り返る。

びっくりするような話題を次々と提供してくれたホンダ

古くからのファンにとって、ホンダの魅力とは良い意味での「予測不能」という部分にあったのではなかろうか。戦後生まれの若いメーカーが突如モータースポーツの最高峰F1に挑戦し、同社初の市販四輪車はミッドシップに4気筒DOHCエンジンを搭載した軽トラック、「T360」。さらに初の市販乗用車がオープン2シーターの「S500」。軽自動車市場の勢力図を一気に塗り替えた「N360」。そして商業的には成功しなかったものの、強制空冷エンジン搭載の意欲作「1300」シリーズと、びっくりするような話題を矢継ぎ早に提供してくれた。

そして今回のお題もまたいかにもホンダらしい1台、「バモスホンダ」だ。車名とブランド名をひっくり返した命名方法は、2輪では「ダックスホンダ」などの例もあるが、ホンダの4輪車としてはこちらが唯一である。後年バモスの名前は軽バンとしてリバイバルしているが、そちらは普通に「ホンダ バモス」である。

何にも似ていないユニークなデザイン

バモスホンダのデビューは1970年。ホンダの軽トラックとしては2代目となる「TN III 360」のシャシーにオープントップの簡易ボディを載せた成り立ちは、同時期にデビューしたダイハツ「フェローバギィ」にも通じるが、あちらがアメリカ発祥のデューン・バギーを再現しようとしたのに対し、こちらはよりホンダ独自の「ノリモノ」としてデザインされており、その姿は何にも似ていないユニークなものだ。ボディもFRPではなく一般的な鋼板。

当時のプレスリリースにはこう書いてある。

「バモスホンダは、乗る人のアイデアによって、用途の範囲が無限に拡がる車です。ドアのないユニークなスタイルで乗り降りが簡単。シャープな機動力、タフなエンジンと足まわり。スピーディなビジネス活動に最適の設計です」

3種のバリエーションがラインナップ

バモスホンダには2シーター・350kg積みの「バモス2」、セカンドシートを備えた4人乗りの「バモス4」、そしてリアの荷台まで幌でカバーできる「バモスフルホロ」と、3種のバリエーションが用意された。

いずれのモデルもドアは持たず、かわりに簡素なガードパイプが備わる。ドアも屋根も持たないクルマゆえのハンドルロック式盗難防止装置や、横転時の乗員保護のためのロールバーも全車共通の装備だ。

さらにインパネのメーター類やシートは防水加工が施され、アウトドアでのラフな使われ方にも対応している。フロントパネルに取り付けられたスペアタイヤは、万一の事故の際に緩衝材としての役目も持たされていたが、その見た目はフォルクスワーゲン「T2バス」(通称レイトバス)のキャンパーを連想させる。

実用車でもあり欧州由来のビーチカーに近いキャラクター

見ようによってはヘビーデューティなミリタリービークルのようでもあるバモスホンダだが、小径タイヤを履いた360cc・2WDの軽トラックがベースである以上、その外見とは裏腹に本格的な悪路走破性は備えておらず、これはやはり当時のプレスリリースにもある通り、「特に警備用、建設現場用、工場内運搬用、電気工事用、農山林管理用、牧場用、その他移動をともなう屋外作業、配達など機動性を特に必要とする仕事にピッタリの車です」ということになろう。

同時期の同社バイクに例えれば、バモスは「ハンターカブ」であって「エルシノア」ではないといったところか。その意味ではこのバモスホンダ、欧州由来のビーチカーのキャラクターに近いとも言える。

当初は月販2000台が予定されていたが、結局1973年の生産終了までに生産されたのは総計2500台ほどと言われる。しかしその製造された期間や生産台数から考えれば、いまなおバモスホンダの知名度は高い。それは折りからの「レジャーカー・ブーム」でこのバモスが多くの媒体に取り上げられ、ミニカーやプラモデルなどの玩具も数多く模型化され、さらには特撮TVドラマの劇中車のベースとなったりと、当時を知る人々にとっては馴染み深い存在だったということもあろう。

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