裕福なエンスージアストにとっては真のお宝
2023年の「モントレー・カーウィーク」で開催されたオークション群の中でも、もっとも大きな話題を呼んだのは、RMサザビーズ「Monteley」オークションの目玉企画となっていた「Lost & Found Collection」。いわゆる「バーンファインド(納屋で発見)」された、20台のフェラーリたちである。
コレクションの多くは数奇な運命をたどってきた
このコレクションの多くは、かつてル・マンやミッレ・ミリア、タルガ・フローリオなどで活躍したヒストリーを持つ珠玉のクラシックモデル。ところが、さる有名コレクターのもとにあった2004年、フロリダ州を襲ったハリケーン「チャーリー」で被災してしまったのち、伝説的なインディアナポリス・モーター・スピードウェイ近隣の巨大倉庫に秘匿されたまま現在に至るという、とても数奇な運命をたどってきたとのことである。
今回はその中から、異様な雰囲気を漂わせるオフィシャル写真が功を奏して、オークションの数か月前から話題になっていたフェラーリ「500モンディアル」について、お話しさせていただこう。
あまり知られていない? 4気筒のフェラーリ製レーシングスポーツ
1950年代中盤におけるフェラーリの直列4気筒レーシングスポーツの活躍は、フェラーリの歴史の中ではあまり知られていないチャプターのひとつであり、同時にもっとも魅力的なチャプターのひとつともいえる。
1951年、エンツォ・フェラーリは配下のアウレリオ・ランプレーディ博士に、4気筒DOHCエンジンの開発を指示。まずは試験的に、F2モノポストマシンへと載せられた。博士の最新エンジンは、ドライサンプ潤滑を採用するとともにツインプラグで点火され、2基のツインチョーク・ウェーバーキャブレターを装着。ジョアッキーノ・コロンボ技師の手掛けた、同じ2LのV12に対して可動部品を65%削減し、約42kgも軽くなっていた。
いっぽう1952-53年シーズンのFIAグランプリは、一時的に2000cc以下のF2規約にかけられることになるのだが、この2シーズンはスクーデリア・フェラーリ所属のアルベルト・アスカリの独壇場。ほぼ全戦全勝で、2年連続の世界タイトルを獲得した。
ランプレーディ直4エンジンの成功は、フェラーリにさまざまなシャシーと排気量の組み合わせを試すことを促し、1954年初頭から一気筒あたりの排気量がほぼ500ccとなる2リッター+2座席レーシングスポーツカーをプライベーターたちに販売。このマシンは、アスカリが2年連続でワールドチャンピオンに輝いたことにあやかって、500モンディアルと命名された。
500モンディアルは、シャシーNo.#0404 MDを皮切りに、13台のスパイダーと2台のベルリネッタがスカリエッティによってコーチビルドされた。ただし、のちの純スカリエッティ製「750モンツァ」や「500TR/500TRC」とは異なり、ボディデザインはあくまで「ピニン・ファリーナ(当時の屋号)」のものを原案としていたのが大きな特徴であろう、
現在においても、500モンディアルはその歴史的意義やパンチの効いたパフォーマンスでエンスージアストに愛されているうえに、主要なクラシックカーイベントにも参加権を有する、非常に望ましいコレクターズアイテムとみなされている。