かつて日本で発売されていたトヨタ ランドクルーザーのライバル
日本では2007年まで販売していた、日産の大型クロスカントリー四駆が「サファリ」。このクルマを語るなら、まずはその前身となる「パトロール」(現在も続く海外仕様の車名でもある)までさかのぼる必要がある。
軍用として開発された小型トラックがその起源
日産パトロールが誕生したのは1951年。警察予備隊(現在の陸上自衛隊)の軍用小型トラック採用を目指して開発された試作車がはじまりだ。入札には三菱、トヨタとともに参加したが、残念ながら不採用となったため、民生用として広く販売されることとなった。ちなみに、このときトヨタが開発した「ジープBJ」がのちの「ランドクルーザー」(以下、ランクル)。つまり、市販前から2台はライバルで、その関係は長く続いていくこととなる。
過酷な環境下での使用を前提としているため、強固なハシゴフレームにストロークのたっぷり取れるリーフリジットサス、パワフルなトラック用の直列6気筒エンジンに、パートタイム4WDを組み合わせるというパッケージを採用した。これはランクルと同じであったが、パトロールはボディサイズが半まわり大きく、積載に優れ、より排気量の大きなエンジン(最初期が3.7Lのサイドバルブ、後期は4LのOHV)を搭載。国内よりも海外で人気が高かった。
究極の実用車イメージを脱却するためにリブランド
1960年に2代目にフルモデルチェンジ。パワートレインは初代のキャリーオーバーであったが、独立フェンダーを目立たなくすることでジープの雰囲気を払拭。広く一般に普及することを目指した。
とはいえ、多彩なバリエーションを持ち、当時クロカンの主力になりつつあったディーゼルエンジンを大/小の排気量で用意するランクルに比べ、大柄なボディと税制に不利な大排気量の4Lガソリンエンジンのみの設定であったパトロールは、海外ではさらに販路を拡大したが、国内では日産の思惑どおりに伸びなかった。
そこで、よりマーケットに即したテコ入れを施し、リブランドでイメージまで刷新したのが初代サファリ(160型、国内仕様のみで、海外では3代目パトロールとして販売)だ。質実剛健で実用車のイメージが強かったスタイリングは、アメリカ市場でステーションワゴンをモチーフとしたスクエアなフォルムに。車体はFRP製のラゲッジカバーを備えたショートホイールベースの2ドアと、ロングホイールベースの4ドア(ハイルーフ仕様もあり)の2タイプを用意。カラフルなボディカラーをラインアップし、RVの要素も盛り込むなど、野暮ったさはずいぶんと払拭された。
人気の刑事ドラマに特別機動車として登場し、知名度を高めた
エンジンはユーザーの要望に応え、国内仕様としては初となる3.3Lの直6ディーゼルエンジン(のちにターボ仕様も追加)を搭載。オフを走らない一般的な層に向けたソフトサス仕様をシリーズ中盤に投入するなどテコ入れされている。また、人気の刑事ドラマ『西部警察』の特別機動車として活躍し、その存在が一般に認知されることとなった。
一定の成功を収めた初代サファリは7年という短いスパンでY60型にモデルチェンジ。これは本格ステーションワゴンとしてヒットしたランクル80の影響であることは明白だ。
車体の多くを初代から流用したが、ラダーフレームは新設計となり、サスペンションも4輪リーフリジットからコイルリジットに進化。オンロードの乗り味、操縦安定性、オフロードの走破性が格段にアップした。2ドアと4ドアという2タイプの車体構成は変わらないが、スモールオフローダーである「テラノ」の登場&自動車の税制が変わったことで4ナンバーサイズに留まる必要がなくなり、ランクル同様3ナンバー専用ボディに。オーバーフェンダー付きは全幅1930mmと国内最大級のサイズで、威風堂々としたフォルムは際立っていた。
エンジンも4.2Lのディーゼル(のちにターボ化)を新たに投入。その後、4.2Lのガソリンエンジン、ATモデルや3ナンバーワゴンも設定。モデル後半にはユーザーニーズに応える形で欧州仕様の小排気量2.8Lディーゼルターボを追加。バリエーションを拡大するとともに、装備も充実。ステーションワゴンとしての資質を高めている。
故・石原都知事の決断が日本市場撤退の引き金に!
1997年にデビューした3代目(Y61型)はより洗練されたスタイリングが与えられ、トータルで性能に磨きをかけるなど高級ステーションワゴンとして地位を確立していく。
エンジンも当初は4.5Lの直6 DOHCのガソリンと先代から継承する4.2L直6 OHV&2.8L直6 SOHC(2ドアハードトップのみ)ディーゼルターボの3種類であったが、1年後、2ドアに最新の3L直6 OHC・直噴ディーゼルターボが与えられるなど、順調に歩みを進めていた。だが、1999年に青天の霹靂というべき出来事が起こる。
それが、当時の東京都知事であった故・石原慎太郎氏がディーゼル車のススの入ったペットボトルを振った、あの会見で発表された「ディーゼルNO大作戦」、のちの「NOx・PM法」だ。これが、サファリが日本撤退する決定打となった。
たしかに当時のディーゼルの排ガス規制は緩く、今思うとこの規制は大英断だったかもしれないが、自動車メーカーはあわてふためいた。とくに人気車種であるRVの大半がディーゼル車だったのだから。この結果、サファリはリミットであった2003年を控えた2002年8月に日本向けの販売を中止した。
海外では2010年に新型へと世代交代し兄弟車も誕生するなど拡充
その後、2002年11月に復活を果たすものの、ディーゼルエンジンは廃止。ガソリンエンジンは乗用車として日本最大排気量の直6である、4.8LのTB48DE(国内仕様は245psだったが、海外仕様は280psだった)へアップデートされ、ATを5速化するなど魅力を高めた。しかし、もともと海外がメインで、これまでの主力エンジンが削がれた状態では国内で販売台数が見込めるはずもなく、5年後の2007年に国内販売終了が決断され、27年(パトロール時代を含めると46年)の歴史に幕を下ろした。
ちなみに、サファリの海外モデルであるパトロールは日本での販売終了後も中東・オセアニアを中心に継続販売され、2010年にはY62型へ世代交代。高級路線をさらに押し進め、北米では「アルマーダ」、「インフィニティQX80」の兄弟車も誕生。2019年にはNISMO仕様も追加されるなど、今なお高い支持を得ている。
ランクル300の成功を受けて、日本でも発売を望む声もある。たしかに5m強の全長と2mに迫る全幅という破壊力抜群の巨大なボディと、400psを発揮するパワフルなVK56・V8エンジン(足まわりはなんと前後ダブルウィッシュボーン)などが試してみたいという気持ちにさせるが、販売は一部の愛好家+αとなるのは明らか。日本市場の呪縛から解かれ、のびのびと成長している現状を見ると、このままでいいと思うのは私だけではないはずだ。