ブレーキが抜けた原因は見つかったものの……
名古屋の「チンクエチェント博物館」が所有するターコイズブルーのフィアット「500L」(1970年式)を、自動車ライターの嶋田智之氏が日々のアシとして長期レポートする「週刊チンクエチェント」。第16回は「新品部品でも油断はできない」をお届けします。
古いクルマに乗るということは冒険のようなもの
フツーひとりだったら絶対に泊まらない豊田市の高級ホテルは、とても快適だった。まぁ、そうだろう。その辺のビジホの倍から3倍くらいの料金を払ってるのだ。快適じゃなかったらキレる。問題なのは、パソコンを持っていってなかったため仕事もできなかったこと、そんなところに宿泊してるのに“ぼっち”で過ごさなきゃならないこと、翌日に入ってた仕事の時間の変更を各所にお願いしなきゃならなかったこと、それに手間取り晩メシを食べに出損なってコンビニエンスストアのツマミとビール3本でごまかしたこと、ぐらいだ。この日以来、チンクエチェントで遠出をするときには翌日に時間を決めた約束事は入れない、という習慣が身についた。
ただ、財布の中身はレッドに一歩近づいたようなところはあったものの、気持ちがブルーになったわけではなかった。いかにレストアに近い作業を経て組み上げられたクルマとはいえ、もとは1970年生まれだ。新品として出てくるパーツだって、当時のクオリティを超えたモノはほぼないだろう。日本の自動車メーカーの新車のようなわけにはいきっこない。古いクルマに乗るということは、ある意味、日々、冒険のようなもの。クセ強系の自動車雑誌編集者/自動車ライターを長年やってきていたり、「そろそろ来るでしょ連発でしょ」といわれがちで実際にあれこれトラブルが来ちゃう15年落ちとか20年落ちとかのクルマを何台も所有してきたりして、そこは実感してきているところだ。それを押してもつきあっていきたいと感じる何かがあるからつきあうのだ、ということも。
そういうものなんだよなぁ……なんてことを考えていたら、電話が鳴った。チンクエチェント博物館の深津館長の到着を伝える連絡だった。前の晩に状況報告の電話を入れていて、そのときに積載車の手配とチェック&修理の手配を請け負ってくれ、ついでに豊田から名古屋まで愛用のフィアット・パンダで送ってくれることになっていた。
新品部品を取り付けても安心できない!?
地下駐車場で悪気ない表情をして佇んでるゴニョン(仮称)を深津さんにもチェックしてもらう。
「これ、マスターシリンダーが逝ってますね」
「ですよねぇ。ペダルが床についちゃう直前まではタッチも悪くなかったんだけどなぁ……」
「マスターシリンダーもブレーキラインも新品なんですけどねぇ……」
「おいイタリアの部品屋しっかりしろよ! って感じですよねぇ……」
そんな感じの会話のあと、ゴニョン(仮称)ことターコイズブルーのチンクエチェントは積載車に乗せられて、深津さんが連絡をしておいてくれた。僕は深津さんと一緒にラーメンを食べた後、名古屋まで連れてってもらうことに。
「深津さん、間に合いますかねぇ? 出発まで2週間を切っちゃってるけど……」
「丹羽さんのところにパーツはあるそうですから、余裕で間に合うと思いますよ」
そう。僕はその2週間後にチンクエチェント博物館が開催する「九州トリコローレ」というイタリア車メインの欧州車のイベントにトークのゲストとして声をかけてもらっていて、そこまでゴニョン(仮称)で走っていく計画を立てていた。もちろんちょっとばかり無謀なことは百も千も承知。クルマを労りながら様子を見ながらゆっくりゆっくり走っていくつもりでいたし、途中でちょっとした軽いトラブルぐらいは出るかもしれないことを想定して、そのときには深津さんからルートに近いところの腕利きのメカさんに渡りをつけてもらうことにもなっていた。
「それにしてもトラブル出たのがゆうべでよかったですよマジで。さすがにあれじゃ走れない……というか、まぁ走れなくもないけど、サイドブレーキだけで阿蘇まで行くことはできませんからね」
「あとは、あの振動ですね。嶋田さんが走ってるうちに各部が馴染んで収まっていくといいんですけど。というか、それが原因ならいいんですけど」
「そう願いたいですね。でもまぁトラブル出しのつもりで、余裕を持って走りますよ。何があって少なくとも僕だけは前夜に熊本にたどりつくようにします(笑)」
そんな話をしながらの移動。スケジュール的に僕が工場までクルマを引き取りに行くことが困難なので、ゴニョン(仮称)は修理が終わったら、再び積載車でチンクエチェント博物館まで運んでもらい、阿蘇へは博物館から出発することになった。そして名古屋でポテッと落としてもらい、夕方にずらしてもらった仕事をこなすべく東京に向かったのだけど……。
新幹線の中で何とはなしに回想していて気がついた。いや、僕の気持ちはそれなりに落ち着いていた。これまで何度もさまざまなトラブルに直面してきてるから、動揺はしてない。そのはずだった。でも、ひょっとしたらそういうわけでもなかったのかもしれない。なぜなら、いずれ『週刊チンクエチェント』をスタートすることが決まっていて、普段ならあれこれ写真を撮っているのに、深津さんがチェックしてくれてるところも積載車に載せるところも何もかも、僕は1枚たりとも撮ってなかったのだ。なので、今回のメインカットはいわゆる「*写真はイメージです」というヤツ。それ以外は、ちょうど博物館の伊藤代表からいただいたゴニョン(仮称)上陸時の未公開カットで。博物館のフィアット500はこんなふうにしてコンテナに入れられて運ばれてくるのだ。……というか、以後ちゃんと気をつけなきゃダメじゃん!
──数日後、深津さんが連絡をくれた。ゴニョン(仮称)が博物館に帰ってきたという。あとは粛々と仕事をこなし、当日の朝に名古屋のチンクエチェント博物館へ向かって、そこから阿蘇を目指して走るだけだ。
そして、運命の2021年4月22日がやってくる。
■協力:チンクエチェント博物館
■協力:ベーシックベーネ・ニワ
■「週刊チンクエチェント」連載記事一覧はこちら