魅力的なオリジナルカラーをまとった1台
2023年8月の「モントレー・カーウィーク」に際して開催されたオークション群に出品された数多くのクルマの中で、もっとも大きな話題を呼んだのはRMサザビーズ「Monteley」オークションの目玉企画となっていた「Lost & Found Collection」。いわゆる「バーンファインド(納屋で発見)」された、20台のクラシック・フェラーリたちだった。
レストアベースのディーノ206GT
このコレクションは、さる有名コレクターのもとにあった2004年、フロリダ州を襲ったハリケーン「チャーリー」で被災してしまったのち、伝説的なインディアナポリス・モーター・スピードウェイ近隣の巨大倉庫に秘匿されたまま現在に至るという、とても数奇な運命をたどってきた。
今回俎上に乗せるフェラーリは、近年では億越えの取り引きが当たり前となってしまった「ディーノ206GT」。一般的にはレストアベースに過ぎないバーンファインド車に、いかなる評価が下されたのかを検証してみよう。
エンツォの愛息が残したエンジンを載せた、初の市販ピッコロ・フェラーリ
1960年代半ばに「ディーノ」を冠した初のフェラーリ・ストラダーレがデビューしたとき、「小さなフェラーリ」というアイディア自体は、少なくともレースの世界ではすでに実績のあるものだった。
エンツォ・フェラーリの長男、「ディーノ」ことアルフレッドはV型6気筒エンジンの熱烈な支持者であり、フェラーリ初のV6エンジンのアイデアを起案したことで知られているものの、残念なことに彼はその完成形を見ることはできなかった。
デュシェンヌ型筋ジストロフィーと診断されたディーノ・フェラーリは、病魔が体をむしばむなか、病床でたゆまぬ努力を続けたのだが、1956年に24歳の若さで悲劇的な最期を遂げたのだ。
そして、ディーノV6エンジン搭載車とともにモータースポーツで一定の成果を挙げたのち、かねてからポルシェに真っ向から挑む市販車を望んでいたエンツォ・フェラーリ翁は、最愛の息子が進めていたプリンシプルを用いて、ゼロから新しいスポーツカーを設計することを、配下の開発チームに課した。
こうして誕生したディーノ206GTは、ミッドエンジンレイアウトを採用したフェラーリ初の市販モデルであり、V型6気筒エンジンを搭載した初のモデルでもあった。
ディーノ206GTは、当時としては先進的なオールアルミ製の軽量構造、気品のあるハンドリング、力強いV型6気筒エンジン、そして時代を超越した美しいスタイリングまで兼ね備えた、真のドライバーズカーであった。
アルド・ブロヴァローネとレオナルド・フィオラヴァンティによるデザインビジョンは、名高いカロッツェリア「スカリエッティ」のワークショップで具現化され、ピニンファリーナの製図によるゴージャスで流麗・豊満なラインは、すべてアルミ合金で形成された。
かくして、亡き愛息の夢を実現させたエンツォ翁は、自身のシンボルである跳ね馬ではなく、ディーノ自身のサインがノーズを飾るのがふさわしいと考えた。そして現在、多くのフェラーリ通が206GTをより個性的で重要なディーノGTモデルとみなしている。
また、より大きくて重い246GTにシフトするまで、1967年から1969年にかけて生産されたオールアルミ製ハンドビルドの206GTは153台(ほかに諸説あり)で、フェラーリ製ストラダーレの中でも、もっとも希少なモデルのひとつであることは間違いあるまい。
予想をはるかに上回るハンマープライス、その理由は?
今回「Lost & Found Collection」から出品されたディーノ206GTは、1968年10月25日に生産を完了し、イタリアのペルージャにあるフェラーリ・ディーラー「ロメオ・ペディーニ・アウトS.r.l.」に新車として納車された個体。新車時のカラーは「ロッソ・ディーノ」で、「マローネ(茶)」の本革/「パンノ・グリージョ」クロスをあしらったインテリアが組み合わされていた。
1968年12月6日に、最初のオーナーであるウンブリア州アッシジ在住のウーゴ・ボスカのもとに納車されたのだが、翌年7月には早くも2番目のオーナーであるパオロ・ピエトロ・ラッタンツィに売却されてしまう。
ラッタンツィはマルケ州グラナーロに居住し、ナンバープレート「AP 91249」を付けて再登録。1974年4月には、マルケ州サン・ベネデット・デル・トロント在住の3代目オーナー、ジュゼッペ・パーチに売却された。
1970年代後半になると、この206GTは同じサン・ベネデット・デル・トロントにある「カロッツェリア・ルリーニ」に移り、現在でも同社特製の登録プレート枠がリアのナンバープレートを縁どっている。そののちウォルター・メドリンの手にわたり、1977年5月にアメリカに輸出された。
この206GTは、包括的なフルレストアを必要としているものの、ナンバーマッチのエンジンとギアボックスが残されているのは特筆すべきトピック。また、クロモドラ社製のマグネシウム合金ホイールや、「Dino」ロゴ入りのウッド製ステアリングホイールなど、新車時のオリジナルが完全に維持されている。
約30年ぶりに日の目をみることになった、この希少なディーノ206GTには、イタリアに居た時代の保険登録証や、1977年に輸出された際のドキュメントなども残されている。くわえて、マローネ/パンノ・グリージョのコンビによるインテリアに、ロッソ・ディーノという魅力的なオリジナルカラーをまとったこのモデルは、完全なレストアを施すのに最適な候補となることが、オークションカタログでもうたわれていた。
このバーンファインド206GTに、RMサザビーズ北米本社は25万ドル~35万ドルという、現状のコンディションからすれば納得のエスティメート(推定落札価格)を設定していた。これは、現状の206GTの相場からすれば半額以下に相当する。
そして8月17日の競売は「Offered Without Reserve(最低落札価格なし)」で出品されたのだが、終わってみれば45万6000ドル、日本円に換算すれば約6670万円という予測を遥かに超えるプライスで落札されることになった。
これからフルレストアを行うならば、おそらくはこの落札価格を大幅に上回る費用を投ずる必要があるとは思われるのだが、それでもこの個体のオリジナリティや、元バーンファインドであることも含めたヒストリーには、それだけの価値があるとみなされたということだろう。